2022年米国の旅9 アメリカはフランスだった

先達ブログ

ももじろうです。

いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

 

「老後を豊かにシリーズ」2022年米国の旅9 アメリカはフランスだった

2022年5月11日

 

スポンサーリンク

デトロイトはデトゥワァ

 

30年以上昔、日本から出張しデトロイトを営業で廻っている時、

現地レップ(販売代理人)のMr.CB が(もちろん英語でですが)

『デトロイトは昔、フランス語で“デトゥワァ”と言ったんだ』と

つぶやいたことがありました。 当時は関心も、ネットでググれる時代

でも無かったので、その時はそれで話は終わりになりました。

 

Detroitは今のフランス語発音でも“デトゥワァ”と言うのがこのURLで確認できます。

Detroit の発音: Detroit の 英語, フランス語, スペイン語 の発音 (forvo.com)

 

フランス語のle détroit (ル・デトゥワァ)は英語なら

the strait = (狭い)海峡 という意味

確かに5大湖のほかにセント・クレア湖 Lake ST. Clairと言う

小さい湖(1114平方Km、琵琶湖は670平方Km。地図の真ん中)

が「すみひえお」で覚えた5大湖、ーペリオ、シガン、ューロン

リー、ンタリオのヒューロン湖とエリー湖の間にあります。

小さいと言っても琵琶湖の倍と言うところが、アメリカ的ビッグさですが

(平均水深3.4m、 深部6.5m、大きな船が通れるように浚渫した所8.2m)

ここが狭い海峡であることは地図が出来る前のフランス人開拓者たちにも

わかりました(で、そう名付けられました)で“デトゥワァ”と命名

 

スポンサーリンク

フランス語の理由

 

それで、何故フランス語なのだと言うのを簡単にいうと、アメリカを

開拓(言葉悪く言うと、侵略)したのはイギリスだけでなくフランスも

スペインも自国の利益一筋にインデアンとバイソンとプレーリードッグ

の土地を奪いあっている時、この地を探検していたのがフランス人。

 

スポンサーリンク

新フランスは、こんなに広大だった

 

濃い青がフランス領ルイジアナ、青が他のフランス植民地

18世紀、フランス領ルイジアナ(当時の国王ルイ14世にちなみ命名)

は今日のアメリカ合衆国中西部のほとんどを含んでいた。

当時はカナダもアメリカもなく、この辺りがあっただけ。彼らは

この地を“新フランス”として開拓(侵略)して行きました。この残りが、

今カナダのモントリオールのケベック州でフランス語が話される所以です。

そしてデトロイト(英語発音)が元はフランス語名だった理由です。

 

スポンサーリンク

アメリカはあっちこっちを買った

 

もう1回簡単に言うと、240年ほどの歴史の中で、米国は何度も

外国の領土を購入してきた。アリゾナ、ニューメキシコ両州の大半と

テキサスとカルフォルニアはメキシコから、フロリダ州はスペインから。

アラスカ州はロシアから購入。その時は巨大な冷蔵庫を買って

どうするんだと非難ごうごうだったが一度金鉱が発見されると

コロッと変わって良く買った!となったのは、どこの世界でも同じ。

 

そしてフランスは、“新フランス”経営に行き詰まりを感じた時

濃青+青ルイジアナ(地域)の北、今のカナダ部分は英国に、

西部分はスペインに売却した。東の一部は既にアメリカになっていた。

 

スポンサーリンク

元はと言えば、英国と戦争した時に守れないと言う発想

 

その後の1803年にアメリカはフランスのナポレオンから残りを買い取った。

このフランスからの買取とロシアからのアラスカ買取は共に売り主(国)が

当時敵対していた大英帝国との確執の結果。

 

アメリカ合衆国の領土はルイジアナ買収により中西部に拡大し、この

当時で2倍になった(現在でも全領土の23パーセントに相当する)。

買い取った時の地図はコレ(緑の部分)

 

スポンサーリンク

ルイジアナでは今でもフランスの影が色濃く

 

という事で、今回の旅の目的地TABASCOの生産地である

現ルイジアナ州に行くとお墓はおフランス式だし地名はもちろん

おフランス式なのです。(お墓の写真はモンマルトルのそれ)

New Orleans ニューオリンズ(オルレアン公にちなんだ名

字の通りニュー・オルレアンと英語+フランス語で読んだほうが・・)

が”新フランス”の首都だったことも関係しています。

そしてルイジアナ州の民事法体系はアメリカ合衆国の中で唯一、

コモンロー系(英米法)ではなく、フランス民法をベースしたもの。

 

この記事は、TABASCO博物館に展示してあったルイジアナ割譲の

この地図から昔営業中の“デトゥワァ”の件を思い出してまとめました。

 

スポンサーリンク

デトロイト旧市街の作りはパリと同じ

 

デトロイトに戻り、Mr. CB に昔“デトゥワァ”の事教えてくれたよね!

と言ったら、そうなんだデトロイトはフランス人が作ったから

ダウンタウンの道は放射線上に伸びているんだと言うので

『パリの凱旋門周辺みたいに?』と聞くと、地図を見せてくれました。

375の印の左下が中心だそうで、いつもはデコデコ道の75号ハイウエイ

で通過していたので中心の放射線状のことは36年間知りませんでした。

 

思えば今回の旅は、昔の”新フランス“を旅したようなものでした。

デトロイト、ルイジアナ州ニューオリンズとTABASCOの

アイブリー島。そしてナッシュビル。SCグリーンビルだけは例外

 

アメリカ・メモリアル旅行10に続く