NHK放映サンティアゴ巡礼の秘密

先達ブログ

ももじろうです。

いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

 

「老後を豊かにシリーズ」サンティアゴ巡礼の秘密

 

私、老後にやりたいことNo.1 のサンティアゴ巡礼の詳細を感じられる番組1時間番組

第1回、「宗教の道」

第2回、「肉体の道」

第3回、「魂の道」がNHK-BS,8K そして7月末には総合放送で放映されました。

 

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巡礼とは

 

結論から言うと、第3回に出てくるスペイン、ビア・フランカの「アルベルゲ」

アベ・フェニックスのオスピタレーロのハトさんが言う巡礼とは、

出会った人にしたことがすべて自分に蓄積されていく』につきるわけですが・・。

番組では、20代からマドリッドに住むグラフィックデザイナーの篠原勇治さん(50歳)がフランスのサン・ジャンピュ・ド・ポールからサンティアゴまでの1,500Kmを歩きます。

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巡礼者今世紀爆発的増加

 

9世紀キリスト十二使徒の一人ヤコブ(サンティアゴ)の墓がスペインの“星の野原”(コンポステーラ)で発見されその地に大聖堂が作られ、当時エルサエムをイスラム教徒に奪われていた時代だったので、ヨーロッパの人々はスペインの奇跡の発見で生まれた大聖堂に巡礼に向かい、12世紀には50万人が巡礼を行った。その後宗教改革(新教の拡大)もあり次第に廃れほとんど顧みられなくなっていた。(ももじ注釈:1993年にスペイン国内の道が「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」としてユネスコ世界遺産に登録された)

今世紀に入り劇的な変化があり2018年には35万人が世界中から巡礼者が訪れるようになった。と言うのが番組での説明。

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楽ちん、有料荷運びサービス有り

 

番組の最初で、まず10Kg以上のリックを背負い1日約20Km歩くことに慣れるのが最初の試練と説明があります。リュックの重みが食い込む肩は痛いし、足にできるマメも痛いのになぜ人々はそんなにしても歩くのかが番組全体にながれるテーマです。

(実は、今はシステムが整っていて、1個8ユーロで次の宿迄リックなどを運んでくれるサービスが有り、それを使えば手荷物だけ持って歩くのに専念できます。特にスペインのピレーネ越えにはその行程の過酷さゆえに有効です。)

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巡礼手帳は日本でも買えます

 

フランスにおける巡礼手帳名称「クレアンシャル」。

フランスにおける巡礼者の宿名称「ジット」 宿泊料は十数ユーロ、約\1,500/泊

まァ私が言うとほとんど昔よく利用しユースホステルと同じような感じと推測します。

食事つきもあるし、自炊もあると思われます。着いて最初にすることは洗濯です、昔から。

スペインにおける巡礼手帳名称「クレデンシャル」。

スペインにおける巡礼者の宿名称「アルベルゲ」

 

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2020年春からはコロナで閉鎖

 

2020年3月15日サンティアゴ巡礼路はコロナウイルスによって閉鎖し7月に再開したそうです。でもコロナ第2波?の感染者増大でまた閉鎖の情報あり。

 

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超便利スマホアプリ有り

 

日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会 のリンクページ

https://www.camino-de-santiago.jp/link/index.html

2 サンティアゴ巡礼路紹介サイトのアプリが(英語がわかれば)超便利です。

Jacobeo.Net https://www.editorialbuencamino.com/  APP BUEN CAMINO

このアプリ(無料)は中のある部分を使用すると課金されます。

行程の海抜表示から天気予報、次の宿の予約まで何でもできます。ただし日本語なし。

 

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宿予約の巡礼は違うの意見も

 

サンアントン修道院跡を利用して2002年にアルベルゲとして出発した宿でボランティアのホスピタレーロとして働くイタリア人のモニア・マルティネリ(元ツアーガイド)が言うところの『この頃は、多くの巡礼者が当日の宿を予約してる。これは、巡礼の精神性が薄れてきていると思うのです』だから、当夜の宿を予約しないで『何かの声に従って』歩いている(又は、止まる/泊まる)篠原さんは正しい巡礼のスタイルとのこと。

本当に、ツアーよろしく、全ての行程の宿がパックで予約できます。先のスマートフォン、アプリBUEN CAMINOでも同じです。

モニアの言う『巡礼の時間は、自分が自分に与えた贈り物』と言う言葉が胸に響いたという篠原さんに私も賛成。

 

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カソリック教会の本質はわかっているが

 

と、ここまでの紹介ならこのももじろうブログをお読みいただく意味がないのがツボで、ここからが本題です。つまり作られたサンティアゴ巡礼です。

だからと言って、私が行くのを止めたわけではないことを最初にお断りしておきます。

私たちよりよほどカソリックのいい面も悪い面も知り尽くしたヨーロッパやアメリカの人たちが行っているのですから・・・。

 

ル・モンド・ディプロマティーク 仏語版2018年8月号より

「そして欧州はコンポステーラの巡礼路を創造した」

著者: ローラ・パッラ・クラヴィオト(Lola Parra Craviotto) ジャーナリスト

日本語訳:大津乃子  注記:ゴシック部分は同記事からの部分コピペです。

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によれば、スペインのガリシア州にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラにつづく巡礼路は、毎年、数十万人の巡礼者で賑わっている。この成功をもたらしたのは欧州評議会だ。彼らは、ローマ教皇レオ13世とヨハネ・パウロ2世が独裁者フランコとわかちあった「欧州のキリスト教のルーツを保つ」という夢を聞き入れたのだ。しかし彼らはそのために、歴史的な事実や地理的な正確性を歪めることも厭わなかった。[日本語版編集部]

 

30万人以上が少なくとも最後の100kmを徒歩、あるいは馬に乗って(もしくは最後の200kmを自転車で)踏破し、聖ヤコブの墓の前で瞑想し「コンポステーラ」と呼ばれる巡礼証明書を受け取った(1)。それ以外にも巡礼路の一部しか行かなかった数万人がいる。目的地にたどり着いた人の約半数(44%)はスペイン出身だが、巡礼者はイタリア、ドイツ、米国、ポルトガル、フランスからも来ていて、出身地は合計で177カ国になる。巡礼者の多くは宗教的な動機(43%)もしくは宗教と文化の両方の動機(47%)を持っていた。この巡礼の歴史上、これほど多い巡礼者の人数は記録的だが、巡礼にはカトリック教会とさまざまな欧州機関の庇護の下で新たな価値が与えられた。

 

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1970年巡礼証明書発行 68枚

 

わずか50年前は、これらの巡礼路はほとんど放ったらかされていたのだ。たとえば、1970年にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が発行した巡礼証明書はたったの68枚だった (2) 巡礼者事務所を引用しているブログ“Camino milenario”による。ただし、巡礼者事務所は1985年より前の巡礼者数(690名)の確認を拒否している。

 

スペインの守護聖人である聖ヤコブの遺骸は、16世紀に隠され、忘れられていたが、

都合よく『写本』の少し後に見つかった。「9世紀に聖遺物が最初に発見された時のように、この発見の信憑性は再び問題になりました」と、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学で近代史を研究しているオフェリア・レイ・カステラオ教授は我々に説明する(3)。

「それは危機のただ中で街を建て直す試みでした。街は宗教的にも政治的にも重要性を失っていたのです」。1884年11月の教皇勅書によって、教皇レオ13世は聖ヤコブの遺骸が本物だと認めた。現代の巡礼の誕生だ。それ以降、たくさんの人々が巡礼の推進者になった。

 

1965年、ガリシア出身の情報観光大臣マヌエル・フラガ・イリバルネは、コンポステーラ観光を促進する最初の国際的なキャンペーンを行った。このコンポステーラの聖年(7月25日の聖ヤコブの祝日が日曜日にあたった年)に、巡礼路と道沿いにある歴史的建造物を整備し、巡礼者に宿を提供するための大規模な工事が始まった。しかし、当時はまだ、大多数の旅行者には南部と東部の太陽とビーチの方が、北西部の宗教的観光よりも人気があった

 

1987年、欧州評議会は、これらの巡礼路をヨーロッパで最初の文化街道であると宣言することで、「田園の城館友の会」の重要な後押しをした。それ以来、さまざまなプログラム――ヨーロッパ地域開発基金(ERDF)、Interreg[EU域内での国境を越えた地域間協力を促進させることを目的として実施されているプログラム]、「農村部の経済発展のための活動をつなぐプログラム(Leader)」など――を通じて欧州連合への資金協力の申請が容易になった。

 

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1982年巡礼証明書発行 1,868枚

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1989年巡礼証明書発行 5,760枚

 

カトリック教会にとっては、巡礼者が使った道がどれかは大した問題ではない。1989年、ローマ教皇は世界青年の日に再びコンポステーラを訪問し、50万人が集まった。この年、5,760人の巡礼者が巡礼証明書を手に入れた。その7年前は1,868人だった。

 

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1993年巡礼証明書発行 99,436

 

「バルセロナオリンピックとセビリア万国博覧会という1992年の2つの巨大イベントの開催を背景として、ガリシア州はどうやってこの“スペインの波”を利用しようかと模索していました」とサンチェス氏は語る。

1993年には、前年の10倍になる99,436人の巡礼者が目的地にたどり着いた。

 

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[巡礼に関する]多大な経済的利益が

 

フランス国立科学研究センター(CNRS)の名誉研究局長である歴史家のアドリーヌ・リュクワ氏は総括する(8)。「聖ヤコブの巡礼者は欧州のどこにでもいましたが、それはコンポステーラへの道が欧州大陸全体にあったということではありません。それにもかかわらず、常に[巡礼に関する]多大な経済的利益が働いていたのです

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流行りの観光で来る人も多い

サン・ジャックの道の天佑ともいえる成功により、その通り道にある教会は活気づいている。しかしながら、この巡礼の熱は、それを切望していたカトリック教会の手に負えなくなっている部分もある。精神性の追求ではなく、流行りの観光で来る人も多いからだ。

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番組がコンポテーラ大聖堂到着で終わったかと思った到着日の歓迎式の翌朝、篠原さんは中世の巡礼者がした、巡礼の証明の為に西に100Kms先のフィニステーテの海岸迄貝を拾いに行くというのが有って、この一つの情報だけでもこのTVシリーズを見てよかったと思いました。100Km歩くのに5日間かかるのは大聖堂が終着点でないことを示します。

 

Tシャツと貝のお守りは、2016年にコンポステーラ大聖堂の売店で求めたものです。

まずは形から入る私ですから、目的地の下見をしたわけです。

番組で、大阪の女性(40代)が、皆さん(老人でも)元気だ!と感心しておりましたが、精神も肉体もそれなりに元気でないとこの試練の1,500Km/780Kmは歩き続けられません。

貝殻に加えてもう一つの巡礼者のしるし大きな靴?跡

(サンティアゴコンポステーラ市内に)貝殻のソレと共に敷石あり。