GG二人の利尻・礼文と稚内4日の旅、番外編2

北海道

ももじろうです。

いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

 

「老後を豊かにシリーズ」GG二人の利尻・礼文と稚内4日の旅、番外編2

2022年6月27日

 

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利尻山(アイヌ語:リイシリ=高い島)の香り

利尻より稚内へ移動のFDAチャーター便で搭乗時に頂いたアロマスプレー

針葉樹系の香りがします。山には登らなかったので、山の香を想像しました。

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3日目夜の稚内ホテル10F露天風呂は台風並み強風下

 

3日目午後利尻から稚内に移動し車屋源氏で“タコしゃぶとゆで蟹半身他

多数“の夕食後、ホテル・ドーミーイン稚内の10階大浴場に行きました。

この時点で満腹でしたが、ホテルで出る無料夜ラーメンを食べる予定でした。

露天風呂が有ったので、午後到着時から吹きすさんでいる季節外れの

寒風がまだ収まっていないことは知っていましたが、ここで怯(ひる)んでは

“70歳何でもやるももじろう”がすたると思い、(おバカさんなので)

意を決して露天風呂に突撃しました。

 

大浴場外の大露天風呂には、折からの強風下10階と言う地の利?も

手っだって、半端でない強風が吹き荒れており、お湯から出ている顔

(先に、浴室で体を洗っていた洗い髪)が大変寒いです。

お湯の温度は、強風下で湯音が冷めないように“大変熱く設定”されており

下はたぎる湯、上は超冷風。暫く我慢しましたが、3分しないうちに退散。

 

この、稚内の超強風下露天風呂入浴も忘れられない1コマとなりました。

部屋に帰って、同行G1と飲んでいるうちに無料夜ラーメンを食べるのを

忘れてしまい就寝。

 

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樺太は1600年代より、松前藩が管轄

 

白い道、宗谷岬観光後、ホタテ養殖元祖の猿払村でホタテフルコースを

頂きました。まぁ、そんなにたくさん食べられるものではありません。

1回で十分満足いたしました。稚内に戻り皆様が副港市場で土産物買いに

走る中、ももじろうは同じ建物2Fの樺太記念館に行きました。

 

入り口にある年表に驚かされました。

1603年松前藩が宗谷に役宅設置し利尻、礼文樺太を管轄とあります。

1603年 3月24日 江戸開府( 慶長 8年 2月12日 )ですから

同じ年に管轄事務所を宗谷に開いたという事です。

 

1604年(慶長9年1月27日) 江戸幕府が松前藩主である前松慶広に

蝦夷地の貿易をおこなう特権をあたえる。これは他の資料で見ました。

 

北海道大学 北方資料データーベース (出典:松前藩1700年元禄国絵図)

[0D000290000001000] IIIF Viewer : Northern Studies Collection (hokudai.ac.jp)

北海道と樺太、利尻・礼文島等の松前(今の北海道)藩国絵図

こちらが全図、拡大してみると右下に函館(箱館)山や今の汐泊川の

由来の汐泊村があります。しかし今の北海道の形を知っている我々には

受け入れがたい形状です。文政4年(1821)の伊能忠孝・間宮林蔵

「大日本沿海輿地全図」の完成を待たなければなりませんでした。

 

地図の上にある島の拡大図、キャッチアップ写真にも使いましたが

中央にからふと島と書いて有ります。

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ロシアからの有難くない客、アザラシの大群

 

かつて樺太の日ロ国境線が決まっていない状況下、ロシア政府が進めた

樺太移民政策同様に、今度は樺太の石油開発で川が汚れてエサが激減した

反動で、ロシア(パスポート所有かどうかは不明ですが)アザラシが大量に

押し寄せ宗谷の海を占領し、日本の海の資源を“食いまくっている”そうです。

写真上部に白い横線に見えるのは浅瀬にいるロシア・アザラシ。