老親の家を片づけて痛感した事、老後の「捨てる」は気力と体力が必要だ

介護
stevepb / Pixabay

両親は老後暮らしの先輩だ。自分の事は見えていなくても他人の事はよく見える。それが両親であっても変わりはない。彼らの生活から学ぶことはたくさんある。

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老親宅の片づけ

この頃汚部屋とか、掃除、捨てる、断捨離。こんなキーワードを付けた雑誌やTV番組が評判を呼んでいる。さらに最近では、自分の親の家を片付ける事に発展してきている。我が家もしかり、親の家を片付けた経験がある。

その時廃棄したものは、扱えなくなった大物。使うことのなかった贈答品。廃棄していない壊れた物。祖父母の遺品。

「捨てる」は気力と体力のある間に済ませよう

始めた時は、彼らが70代後半の事だった。老親の病気のこともあり急ぐ必要性を感じてもう管理できないでしょう。と干すこともできなくなった布団などを一方的に廃棄した。

病気が落ち着きしばらくは二人で暮らせそうな気配を感じ始めた頃から、口も元気になり「捨てられた」と言うようになってきた。それからは捨てる物については老親の意見を聞くようになった。

ニンジンをぶら下げて片づけ

これからも二人で暮らすことができるようにと、二間の離れをリフォームする。という目の前にニンジンがぶらさがった状態であったことも幸いして、一緒にゴミ袋に詰めた。これが大変だった。贈答品の箱は紙ごみに、陶器は不燃物に、この頃の廃棄はとにかく分別しなくてはならない。一部屋が作業部屋に替わり、老親は自分たちが貯めた物なのに、「まだあるのか」と作業中に何度も繰り返すほど物はあった。

そこにはたくさんの新品の頂き物があり、昔流行していたガラス蓋の鍋を今使っている底がいびつになった鍋と交換して使ったらというと、ガラスの蓋は重いからいらないと言う、なるほど使っていない理由がある物もあるのかと思った。それでも自分で確認しながら廃棄したことで自分でもいらない理由が見つけられたようだった。室内の整頓に半年はかかっただろうか。

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整理整頓した残すもの

母屋の一室を納戸にして、このぐらいは残しておきたいと言ったものは棚に収めたが、5年以上たった今でもその棚から出して使われたものはない。

老親の家の母屋の整頓があらかた終わった時には自分にたいして、40代だからできた。とつぶやいた。50代となり大変な作業になることを知ってしまった今、次は業者に頼もうと思っている。

整理整頓で探し物が増えた

廃棄してしばらくの間は、老親それぞれに使う物を探しきれなくなると電話を掛けてきて、あれは捨てたのかと聞いてくる。探し物が見つからないと言えばいいものを最初の一言が「捨てたのか?」で始まる会話は苦痛だった。

何を探しているのか聞き取ると、たいていは捨てていない物で、捨ててないので「このあたりを探して」と伝えると探し物は出てくる。他には「最後にそれを見た場所を思い出してみて」と言うと、整理しきれていない場所にそのままあったりする。電話の掛け方も失礼だと思うが、あったという連絡もない。そのうちに連絡がない時は見つかった時だと思うことにして、こちらも知らん顔をしている。

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残したものは使われないまま

それも年度が経過するにつれ、整理した物の位置も覚えたのか電話の回数も減ってきた。老いの進行もあり、できない事が増えてきたことも理由の一つだと思う。老親も物を色々揃えてまで接待をすることもままならなくなったというだろう。

整理した母屋は昔の家のように畳だけが広がる空間になっていて、訪ねてきた近所に人に物がないことを驚かれ、綺麗にしている。とほめてもらうことも多くあり、いまでは満足そうだ。自分でもゴミとなるようなものは持ち込まないと決めたらしく、知り合いの遺品をといわれた時もサイズが違うからとあっさりとことわっている。

頂き物、祝いの終焉

たとえその物に思い入れはないとしても、廃棄することには気力がいる。ましてやこれは誰々の引き出物でなんていうことを聞きながら処分していくのは辛労だった。その引き出物をくれた当人たちはさっさと別れてしまっているのだ。