老後暮らしのささやかな満足-自分の思い通り

介護
margitwinkler / Pixabay

買い物、食事を済ませて帰宅、時間ができたので納屋で父の後始末を手伝っていたら、母も畑に出てきて、畑で何かしていた。

 

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キャベツの苗の始末-植え込み

 

そばによって来て「キャベツは7つでピッタリだった」と謎めいた発言。

 

アッと気が付いて、先ほど買い求めた春キャベツを植える準備ができたということだと理解して、「苗を持ってくる」とあわてて苗を取りに行き、畑の畝に置いた。

 

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さてこれをどうしろというのか?

植えたほうがいいのか。植えろということか?一瞬悩んだのだけど、これは母がしたかったこと。と思い直し、「ここに置くから植えてね」と声をかけた。

そのあと母は自分でキャベツを植えたようで気が付くと畑から消えていた。

家に戻ると「植えてきた」というから「水を撒いてきたほうがいいか?」と聞いてみると「大丈夫だろう」という。くりかえして「7つでちょうどよかった」と自分の見極めを報告してくる。

 

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互いの時間の使い方が合わずにイライラする母

 

母は余分はいらないタイプで、自分の見極めにこだわりがある。だが父は同じものをいくつも欲しがる。買い物でけんかをする理由はこの違い。すぐに片付けてしまいたい母と「後で」が口癖の父。 これは男女が別かもしれない。

欲しくて苗を買っても父は思うように助けてくれなくてイライラしていることがよくある。

今日は自分の思うとおりになったから、これも親孝行としたい。自分の見極めた面積と、そこに植える量。注文する食事量と食べきれる量。食べきった満足感。

些細なことに思うがこれは母の満足度を上げることになるらしい。母の喜びは無駄なくピッタリに収まること。そんなささいな満足がうれしかったのだろう。本日はご機嫌。

 

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母の表現の変化に気が付く

なんでも「できる」と言わずに「下の掃除はできる」それが「高い位置の掃除はできない」という表現に変化している。

この先娘としては「これをして欲しい」という発言を聞きたいと思っているのだが。さて