ももじろうです。いつもジルがお世話になっております。
飛行機の話、第2話
カンタス航空「プロジェクト・サンライズ」とは、新型エアバスA350-1000ULRを使用するシドニー→ロンドン間ノンストップ22時間の直行便のこと。
カンガルー・ルート遮断
カンガルー・ルートとは、カンタス航空が考案した名称で、オーストラリアとイギリス間を東半球経由で結ぶ旅客航空路線を指します。往路も復路両方向とも週1便運航。
「サンライズ」と言う言葉は、今は昔同航空会社がシドニーロンドン間(当時は各地飛行場に停まり停まりしながら運航していた空路が、第2次世界大戦に1940年6月にイタリアが参戦したことで、エジプトから地中海を横断するカンガルー・ルートが遮断されたことにより考えられたルートの名前。
ホースシュー・ルート開設
このため新たに開設された緊急ルートHorseshoe Routeは、地中海経由でイギリスとエジプト(ひいてはオーストラリアやアフリカ)間の郵便物を空輸することが不可能になったために開設されました。
オーストラリアへのホースシュー・ルートは、1942年2月の日本軍によるシンガポール陥落後、南アフリカ・ダーバンとインド・カルカッタ間のみの運航に限定されました。
シンガポール陥落時シンガポールに滞在していたオーストラリア人や関係者を救出する最後の飛行艇は1942年2月4日にシンガポールを出発し、2月6日以降はシャトル便も運休となりました。
3月3日、ホースシュー航路で使用されていたものを含む15機の飛行艇と7機の
航空機が、男性、女性、子供を避難させるために当時インドネシアからのオランダ人などを救出するのに使用されていた、西オーストラリアのそれまでは真珠養殖の町ブルームを出発する準備を整えていましたが、ブルームへの日本軍の戦闘機による攻撃を受けました。この攻撃により、少なくとも88人の民間人および連合国軍の将兵が命を落としました。

これらすべてが、日本軍が12月8日のハワイ急襲と並んで東南アジア地域の占領を誰もが予想しなかったスピードで成し遂げて行った結果。銀輪部隊と言う自転車行軍もありました。

オーストラリアとイギリス(インド)間の外交航路復活
日本軍によるシンガポール陥落以降のオーストラリアとイギリスの外交航路(インド~オーストラリア間)を復活させるために考えられたのがこのサンライズ作戦

ダブルサンライズ作戦で使用されたカタリナ飛行艇(水上飛行機)は5機のカタリナ飛行艇をオーストラリア空軍に供給し、すべて空軍が運航しましたが、カンタス航空として、英国のBOAC(懐かしい!英国海外航空会社)に登録されたままでした。
オーストラリア空軍によって運航されていましたが、カンタス航空の名称とブランド名で運航され、各便のわずかな座席は一般の運賃を支払う乗客に販売されました。
「ダブルサンライズ」は、大戦中表向きカンタス航空がカタリナ飛行艇(巡航速度は時速約200Km)を使用して運航した極秘のノンストップ航空ルートでした。
現在自衛隊が使用の水陸両用US-2は 巡航速度 – 約470km/h 航続距離 – 4,700km
西オーストラリア州パースのネッドランズからセイロン(スリランカ)のコッガラ湖までを結ぶこのルートは、日本軍の哨戒区域を通過するため、無線封鎖が敷かれコンパスと星による基本的な航法のみに頼って飛行し(セイロンへのフライトは、当時としては最長のノンストップ航空路線。全行程インド洋上空を飛行し航続距離6,480km
超長距離飛行のために、不要な除氷装置やキャビン断熱材など、非必須装備が取り除かれ各便の平均積載量は、乗客3名と、重要かつ機密性の高い郵便物や外交文書69kgのみ)
飛行時間は27時間から33時間で、日本占領地域を夜間に通過するように出発時刻が調整され全て有視界飛行だけでかいくぐり、途絶えていたオーストラリアとイギリス間の航空路を再開し、最大33時間かけて乗客と乗務員は2回日の出を見ることに、これがダブルサンライズの元

カイロをハブとしたシドニーとダーバンを終着点とする駐在員向けの代わりの「ホースシュー・ルート」を敷設
戦時中にイタリアとフランスを経由してカイロに至る路線が失われたためカイロをハブとしシドニーとダーバンを終着点とする駐在員向けの「ホースシュー・ルート」が代わりに敷設された。
イギリス政府としてホースシュー・ルートを結ぶことはBOACの資源に大きな負担をかけた。スペインは入国を拒否したが、ポルトガルはリスボンでBOACの民間航空機を歓迎した。
しかし、リスボンまたはジブラルタルからマルタ経由でエジプトに至る地中海ルートは敵の攻撃を受ける危険性があったため、西アフリカを経由する長距離ルート
(リスボン、
バサースト【現在の名前 バンジュールBanjul ガンビア共和国首都】、
フリータウン【シオラレオネ首都】、
ラゴス【ナイジェリア首都】を経由する海上ルート)を採用し、
そこから陸上をホースシュー・ルートを通ってハルツーム【スーダン首都】に
戦争終結後、イギリス空軍もオーストラリア空軍もこれらの機体を必要としなくなったため、イギリス航空省との当初の供給契約に基づき、各機はひっそりと自沈処分された。



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