TVを視ていてアレは何だ!と思った瞬間 (旧)トロカデロ宮殿(1878-1936)

先達ブログ

ももじろうです。
いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

「老後を豊かにシリーズ」TVを視ていてアレは何だ!と思った瞬間。

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映像の世紀

「映像の世紀」と言う番組が好きで昔から視ています。ビデオの時代からずっと。                今放映中は「映像の世紀プレミアム」15話です。今日はその第11話、NY、パリ、ベルリン編の話。

御存じでない方のために、少し解説:19世紀末リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフによって、人類は動く映像を記録できる様になった。結果として世界大戦の時代である20世紀はそれまでと違い、動く映像で歴史を記録することが可能になった最初の世紀となった。

今回の「映像の世紀プレミアム」シリーズでは「映像の世紀」新(11話)旧(6話)シリーズを合体、さらに新発掘映像も加えて、90分・全15回シリーズで放送。ナレーション担当、新シリーズ山田孝之、旧シリーズの山根基世。新旧2つのシリーズでは映像が誕生してから100年余りの歴史を編年体で描いたが、今回は芸術・科学者・女性などのテーマ毎に綴る。そうです。

 第11話の中で、パリにエッフェルが鉄の高層建築物エッフェル塔を建てる前、建築中、完成後がありました。塔完成後、大方の予想を覆す一般大衆の歓迎殺到風景にまじり、有名な水圧エレベーターが昇って行く映像が流れました。セーヌの対岸に今のシャイヨー宮ではない建物が映っており、アレは何だ!と思いました。

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トロカデロ宮殿

調べると、トロカデロ宮殿と言うものでした。

英語版ウキぺディア訳:シャイヨーの丘は1867年の世界博覧会のために最初に使われました。 1878年の万国博覧会のために、(旧)トロカデロ宮殿(1878-1936)がここに建設され、宮殿の形は二つの翼と二つの塔を持つ大きなコンサートホールの形でした。

そのスタイルは、一般的に「ムーア人」と呼ばれるがいくつかのビザンチンの要素を持つ、エキゾチックな混合物でした。建築家はGabriel Davioud。
その建物は人気がないと判明したが、その建設に費やされた費用減価償却のためにその処分は約50年間後に行われた。

宮殿とセーヌ川の間の空間には、Jean-Charles Alphandによってデザインされた庭園とたくさんの噴水があります。

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旧トロカデロ宮殿が取り壊され、新宮殿である現在のシャイヨー宮が建てられた

1937年、1876年パリ万国博覧会開催にあわせ建造された旧トロカデロ宮殿が取り壊され、新宮殿である現在のシャイヨー宮が建てられた。

フランス・パリ16区にある大型展示会場である。エッフェル塔とはセーヌ川をはさんで反対側に建っている今のシャイヨー宮をエッフェル塔を背にセーヌ河から見るとこれ。

凱旋門から地下鉄1号線で直線的にシャンゼリゼを通ってNationに行くのでなく、1860年に取り壊された旧パリ税金取立て用城壁の南側を通る地下鉄6号線のトロカデロ駅出口を出るとシャイヨー宮があります。
シャイヨー宮は河岸段丘の(丘の)上にあり、眼下には噴水があるトロカデロ庭園、セーヌ河に架かる橋、そしてエッフェル塔、シャン・ドゥ・マルス公園が一望でき、ここから見るエッフェル塔が一番綺麗と思うのが普通で、ヒットラーを案内した部下もそう思ったのでしょう。番組では、ヒットラーが「パリは燃えているか?」と聞いた時に、歴史にパリを破壊した人物として記録されたくなかったナチスのパリ軍事総督コルティッツがパリの破壊をせかすヒットラーからの命令を実行せず、レジスタンスに大規模蜂起も実行させずに降伏した様子が紹介されます。

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エッフェル塔を背景に行くヒトラー一行


1940年にアドルフ・ヒトラーが、征服したパリを短期訪問した際、このシャイヨー宮殿の前でエッフェル塔を背景に写真撮影し、その写真は第二次世界大戦の象徴的なイメージとなった(「ナチス・ドイツによるフランス占領」)。

映画好きの人にはたまらない、「映画博物館(Musée du Cinéma) 」シネマテークは1948年、パリ8区、モンソー公園近くのメッシーヌ通りに常設上映館をオープン。1972年にはパリのトロカデロ広場に面するシャイヨー宮に移転。世界各地の映画ミュージアムのモデルとなりました。

創設者ラングロワは1977年にこの世を去りますが、1997年シャイヨー宮の映画博物館で火災が発生します。奇跡的に燃えやすいセルロイド・フィルムの所蔵品は無事でしたが、建物は閉鎖を余儀なくされました。そして2005年、フランスが誇る映画の殿堂シネマテーク・フランセーズは、パリ12区のベルシー地区に新たにオープン。映画博物館は「ミュゼ・ド・ラ・シネマテーク(Musée de la Cinémathèque)」に名を改めて再出発しました。

今、私たちは流される映像が必ずしも事実すべてを語っていないことを知っています。やらせも含め送り手側の意思的なそれが蔓延する中、私たちは言葉以上に影響力が大きな映像から何を学び/知るかが問われています。