ももじろうです。いつもジルがお世話になっております。
HISふらっとエジプト5日間【その3】 考古学博物館2 20240326
各種資料からのチャリオット(戦車)について
エジプトの壁画に表現されたヒッタイト軍のチャリオット(戦車)
チャリオットの発祥地と伝播
最古のチャリオットは、紀元前2000年ごろのシンタシュタ・ペトロフカ
文化で発明され、急速に周辺のユーラシア大陸各国に広まった。
チャリオット(戦車)と言う、当時の最新兵器を生み出した
シンタシュタ文化は、銅鉱業と銅冶金の強さが顕著である。
現代のトルコにあったヒッタイト(紀元前1600年頃成立)では、後期青銅器
時代/初期鉄器時代に、鉄工技術が比較的継続的にゆっくりと普及してきた。
青銅器時代のアナトリアの鉄器はいくつかあるが、武器はごく少数。
ヒッタイト人は鉄鉱石を溶かした鉄ではなく、隕石を使っていた。
ヒッタイト軍はチャリオット(戦車)の使用に成功した。
現存8台中の1台、Yuyaのチャリオット(戦車)
Yuya のチャリオットは、義理の息子 Amunhotep Ⅲ からの贈り物
(アメンホテプ3世は、古代エジプト第18王朝の第9代王ファラオ
紀元前1386年 – 紀元前1349年
ツタンカーメンのチャリオットは新築の大エジプト博物館展示の為
日本のJICA協力で調査・修復作業が行われている。そうです。)
本体部分には堅くて丈夫さが特徴の「タマリスク」の木が使われたとの事。
3300年前の古代エジプトで『寄せ木』や『曲げ木』の技術がで確立していた
だけでなく今でも健全な状態をたもっているのに驚かされます。
樹脂で守られた木製車輪
木車輪の外周に塗られているタイヤゴムの代わりの樹脂、コレが有れば
木車輪が傷つく事もなく、小石交じりの道路や砂漠を走れるハズ。
この樹脂(レジン)が何で出来ているのか判りませんが、ミイラ造りに
使われたと言うウルシ科のピスタチオ・レジンかもしれません。
スポークの木と木車輪の接ぎ部、私なら両者の間にノックピン入れて外れ
無い様にしますが、はたして構造の解説が無いので推測だけです。
木車輪にひびが有るのと、レジンとのすき間が出来ているのが3000年の
重みです。
以下はももじろうが長年、課題としていた古代戦車の軸受け部の構造が
どの様なものか? 通常の現代軸受けは、ボールベアリングが有ろうが
無かろうが、この様な構造ですが・・。
はたして、3,000年前のエジプト戦車の軸と軸受けは・・・如何に 、、、
スポーク木をまとめて引き受けているのが、真鍮?製の軸受け
ここにも樹脂が、走行中に起こる搭乗席側の軸受けとの緩衝に使われたと推察
軸は「ニレ」しなやかな性質で、様々な方向から力がかかる軸に最適だとか。
外れ止めのピン
そしてこれが、ももじろうの課題、軸と軸受け ⇒ すごいスキマ有
JISの勘合公差とは異次元のいい加減さ。
多分、動物の油で出来たグリース状の油をこれに、塗りたくり使用したと
推察いたします。幾ら、ニレ製軸と、真鍮軸受けが相性が良くてもグリス
無しでは焼き付きが起こるハズ。
見てください、このスキマ、向こう側が見える。
個人的には、ツタンカーメンの黄金のマスクも捨てがたい物でしたが、
このチャリオット(戦車)の軸と軸受け構造が分かっただけで大変満足した
私でした。疑問が解決しこころ浮き立っカイロのエジプト考古学博物館。
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