HISふらっとエジプト5日間【その3】 考古学博物館2 20240326

先達ブログ

ももじろうです。いつもジルがお世話になっております。

HISふらっとエジプト5日間【その3】 考古学博物館2 20240326

 

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各種資料からのチャリオット(戦車)について

 

エジプトの壁画に表現されたヒッタイト軍のチャリオット(戦車)

チャリオット – Wikipedia

シンタシュタ文化 – Wikipedia

ヒッタイト – Wikipedia

チャリオットの発祥地と伝播
最古のチャリオットは、紀元前2000年ごろのシンタシュタ・ペトロフカ

文化で発明され、急速に周辺のユーラシア大陸各国に広まった。

チャリオット(戦車)と言う、当時の最新兵器を生み出した

シンタシュタ文化は、銅鉱業と銅冶金の強さが顕著である。

 

現代のトルコにあったヒッタイト(紀元前1600年頃成立)では、後期青銅器

時代/初期鉄器時代に、鉄工技術が比較的継続的にゆっくりと普及してきた。

青銅器時代のアナトリアの鉄器はいくつかあるが、武器はごく少数。

ヒッタイト人は鉄鉱石を溶かした鉄ではなく、隕石を使っていた。

ヒッタイト軍はチャリオット(戦車)の使用に成功した。

 

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現存8台中の1台、Yuyaのチャリオット(戦車)

Yuya のチャリオットは、義理の息子 Amunhotep Ⅲ からの贈り物

アメンホテプ3世は、古代エジプト第18王朝の第9代王ファラオ

紀元前1386年 – 紀元前1349年

ツタンカーメンのチャリオットは新築の大エジプト博物館展示の為

日本のJICA協力で調査・修復作業が行われている。そうです。)

本体部分には堅くて丈夫さが特徴の「タマリスク」の木が使われたとの事。

3300年前の古代エジプトで『寄せ木』や『曲げ木』の技術がで確立していた

だけでなく今でも健全な状態をたもっているのに驚かされます。

 

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樹脂で守られた木製車輪

 

木車輪の外周に塗られているタイヤゴムの代わりの樹脂、コレが有れば

木車輪が傷つく事もなく、小石交じりの道路や砂漠を走れるハズ。

この樹脂(レジン)が何で出来ているのか判りませんが、ミイラ造りに

使われたと言うウルシ科のピスタチオ・レジンかもしれません。

スポークの木と木車輪の接ぎ部、私なら両者の間にノックピン入れて外れ

無い様にしますが、はたして構造の解説が無いので推測だけです。

木車輪にひびが有るのと、レジンとのすき間が出来ているのが3000年の

重みです。

 

以下はももじろうが長年、課題としていた古代戦車の軸受け部の構造が

どの様なものか? 通常の現代軸受けは、ボールベアリングが有ろうが

無かろうが、この様な構造ですが・・。

 

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はたして、3,000年前のエジプト戦車の軸と軸受けは・・・如何に 、、、

 

スポーク木をまとめて引き受けているのが、真鍮?製の軸受け

ここにも樹脂が、走行中に起こる搭乗席側の軸受けとの緩衝に使われたと推察

 

軸は「ニレ」しなやかな性質で、様々な方向から力がかかる軸に最適だとか。

 

外れ止めのピン

 

そしてこれが、ももじろうの課題、軸と軸受け ⇒ すごいスキマ有

JISの勘合公差とは異次元のいい加減さ。

多分、動物の油で出来たグリース状の油をこれに、塗りたくり使用したと

推察いたします。幾ら、ニレ製軸と、真鍮軸受けが相性が良くてもグリス

無しでは焼き付きが起こるハズ。

 

見てください、このスキマ、向こう側が見える。

 

個人的には、ツタンカーメンの黄金のマスクも捨てがたい物でしたが、

このチャリオット(戦車)の軸と軸受け構造が分かっただけで大変満足した

私でした。疑問が解決しこころ浮き立っカイロのエジプト考古学博物館。