これまでにも報道を見たことはあったのだと思う。この規模にまでなっていたとは、これまでの経過を知らずに来たことが残念だった。
経過を知りたくて、過去からの通信を読む
ペシャワール会
水を待つ人達は、評判の良い医者の診察治療を希望して、順番を待つ人々そのままだと思った。順番を待てずに機械を拿捕したり、脅したり。でも諭されて謝りの文書を提出。先生の人間味あふれる報告書はなるほど人を診ていたのだと感じる。
その中でも「先生を守る」というみんなの意志が10年前からあったことが記載されている。
再放送されるのは過去画像で、最近の日本の画像がない
渡航禁止区域であり、中村先生も日本の訪問者や現地取材を拒否していたから仕方がないのだが、経過の画像がないことが悔やまれる。
しかし先生の言うようにそこで働いていた住民が技術を取得している。
中村哲医師の残したかったものは何か?知っているのはあなただと思う
アフガニスタンの人々の悲しさは私たちよりも深いと思う。守りたいと思う人を守れなかった。そんな辛さは家族にしかわからないのではないだろうか。
電気もない状態ではガンベリ砂漠の人々の苦悩の言葉も辛さも伝わっては来ない。
先生という燈を無くしたことでみんなの気持ちがささくれてしまうことがないように祈るばかり。
日本人は石を積み、土を掘り労働して復興に一歩を踏み出したのは中村哲先生とあなただったことを知っている。
いつか中村哲医師記念公園を訪れてみたい
中村先生が治療に励んだのは、砂漠の人々の暮らし、行き所を失った愛。生まれたならだれでも持っているはずのもの。大地を掘り、労働をして糧を得る。回復する緑と増える笑顔。収穫の喜びと感謝にあふれていたからだと想像している。それは、病気を治したのではなく人を治すという医学の根本を実践しているように感じる。
いつの日か治安を取りももどし、私たち日本人に中村先生とアフガン人が作った美しい庭。ガンベリ砂漠を見せて欲しい。
それまではこの画像を楽しみたいと思う。
コメント