メルセデス機械研究所2 まんぷくの小道具タイガー計算機等のお話

先達ブログ

ももじろうです。
いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

「老後を豊かにシリーズ」メルセデス機械研究所2
まんぷくの小道具タイガー計算機等のお話。

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メルセデスのタイプライターの話の続きです

機械研究所とは何の事かと思われたと皆様、先日ご報告した中国・青島旧ドイツ総督博物館にあったメルセデスのタイプライターの話の続きです。

 

メルセデスタイプライターはメルセデス機械研究所製でした。実はそこには、私がかって所有していたタイガー(歯車式)計算機と同じ形式の機械式手回し計算機も有ったのでした。

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NHK朝ドラまんぷくの万平さんの初期研究所にも小道具として置いてありました

これは今、オークションに出ている品ですが私が所有していたのと同じ後期品です。NHK朝ドラまんぷくの万平さんの初期研究所にも小道具として置いてありました。それを見て、まんぷくを観ていたと言うのが正直なところです。実際には少し時代背景が製品に対して早かったですが。

で、青島で見たのがどういう風だったか、例の美形の日本語ガイド嬢の「写真はダメです。」
に遮られて、細部が思い出せない中。ある日有る時ある場所で佇んで居た時に「アッと閃きました」まさしくAH!Mormentの瞬間でした。

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ドイツ語でメルセデス機械式計算機とググれば出てくるのではないか

ドイツ語でメルセデス機械式計算機とググれば出てくるのではないか?理由はデザイン外装が良く似ている。
自宅トイレで思いついた件を会社で実施みると最初は上手く出てきませんでしたが、最後にはドイツ語の Rechnerlexikon
Die große Enzyklopädie des mechanischen Rechnens 機械計算の素晴らしい百科事典
www.rechnerlexikon.de/artikel/Stolzenberg と言うページで発見しました。

写真のは1924年製で第1次世界大戦が終わっておりますから負けて青島を日本軍に占領されたドイツ政府が送るには少し時代が遅い物でしたが、メルセデス機械研究所製でした。

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会社の経歴

会社としての経歴は以下の通り:ベルリンでタイプライターの最初のメーカーを設立した後。 チューリンゲンのZella-Mehlisにおいて製造は1908年に始まりました。 1907年、Christel HamannのMathematical-Mechanical Institute(ベルリン)が子会社として買収され、1916年の秋に本社と合併し、Zella-Mehlisに移転しました。 1912年7月1日、行政本部はベルリンからゼラ・メリスに移転。と写真付きで機械百科事典に紹介されています。
会社の全景です。会社パンフレットから取ったと注記が有りました。

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転載自由にどうぞの大宮さんのページでは、次の様に紹介

機械式計算について、転載自由にどうぞの大宮さんのページでは、次の様に紹介。

日本で大正12年に大阪の大本寅次郎氏がオドナー式計算機の国産化に成功、虎印計算機の名で発売します。 虎印計算機は、洋風に「タイガー計算器」と名前を変え昭和40年代に電卓が出現するまでにおよそ50万台生産されます。

万平さんの小道具が少し時代に合っていなかったと言うわけが次の昭和29年製の黒色を見ているからです。
タイガー計算機、製造番号 109400   昭和29年頃
(大宮氏)私見ですが、コレクションとして、手に入れるなら、この頃の物が一番良い、ダイヤル以外のほとんどの部品が金属で出来ていて、壊れにくく、手作りの良さも残っています。これ以降の、位取り指針がプラスチックの物は、経年劣化で、この指針が壊れやすいのです。

大宮さんの言うオドナー(odhner)を英語でググるとビンテージ計算機のページが有り。
http://www.vintagecalculators.com/html/odhner.html

そこでオドナーの事は次のURLを見ろと言っている。

http://odhner.com/kevin/wtodhner/calcs.html

へ行くと詳しく、ロシアのセントぺテルスブルグ(今のレニングラード)でノーベル賞のノーベルの下で働いていたとか詳しくオドナーのことと計算機が一杯出ています。

その中で紹介されている1台がこれです。日本人が所有している物です。


日本語訳:
これはシリアル番号2490です。門倉克典氏が所有するとても素敵なものです。 この1つのトッププレートは、1890年以降のすべてのポストモデルに見られる裸真鍮仕上げとは対照的に黒く塗られています。 しかし、これまでの例がすべて真鍮であるかどうか、またはその大部分が磨耗したときにそれらのいくつかのペイントが剥がれていたかどうかは不明です。 ただし、上記の1891年の広告には明るい色の天板が付いている機械が示されているため、少なくとも一部のモデルでは裸真鍮仕上げが独創的であるように見えます。 ふたを取り付けるための機構がないように思われるので、私は木のベースがオリジナルではないと思います。

因みに冒頭写真のオークション希望売り価格は1万5千円(送料別)でした。