ももじろうです。いつもジルがお世話になっております。
世帯主で主夫のパートナーです。
「老後を豊かにシリーズ」20221015
鎌倉殿の13人にちなんだの? GG2人で行く隠岐の旅 2022
隠岐は名古屋からたった45分のフライト
別に大河ドラマにちなんだのではありませんが、後鳥羽上皇流刑の地
隠岐へいつものGG2人で行ってきました。合計年齢148歳のコンビです。
事の始まりは、8月のとある日、新聞広告で“神秘の諸島”隠岐の島
旅めぐり3日間。が出たことです。
「とって隠岐の旅滞在促進助成事業」より、14,800円の助成金が適応
と大きくかかれていました。“お値打ち”と言う言葉に弱い名古屋人の
G2・私としてはG1・土佐の牛飼いに直ぐに相談しました。
G1も私同様、現在無職で共に配偶者が働いている環境で、いわば“ひも”
なので、『かーちゃんに聞いてみる!』から入り回答を貰えるのに3日
かかりました。私がその日すぐ申し込めばよかったのですがいろいろ
雑用があり実際に申し込んだのが5日後。ここで問題発生。
FDAチャーター便の座席数がすでに予約でうまり、現在空席待ち
しかも9番目との回答。結果は空席待ちの人や予約したひとから
抜けが出て、9月中旬に行けることになりました。ラクチン直行便。
添乗員さん曰く『利尻・礼文の旅で一番苦情が多いのがホテル。
離島のホテルに多くを期待してはいけません!』だとしたら、隠岐も
離島ではないかと思い少ない期待でホテルに入りました。
まァ、一つが普通で、もう一つが部屋のトイレ、洗面所がペケ
二つともシャワートイレではありませんでした。
一つの夕食が抜群だったので良しとします。
隠岐は快適な流刑地
後鳥羽上皇や後醍醐天皇の各遺構まわり(樹齢2,000年の八百杉)と
自然の作った海岸線の見事な景色は圧巻でした。
天上界
歴史には詳しくありませんが、大河ドラマは視ているので昔鉄道や
車がなく、歩く道も整備されていない時代には、海上交通の方が
楽で速かった。だから、(現在でも直行便でひとっ飛びすれば45分だが)
京の都から隠岐への距離感は今考えるよりとても近いと言う説明には
驚かされました。高位な人々の流刑地が隠岐だったのは、この距離感と
米や魚が豊富に取れる地と言う配慮があったからだそうです。
参考:他流刑地 佐渡、常陸、安房、伊豆、土佐 (都:奈良/京)
夕食にでた岩ガキ、新鮮+美味!!
北海道と大阪を結ぶ北前船の風待ち港、隠岐
北海道を出て、日本海を南下し隠岐で荷下ろし・積み込みして
瀬戸内海を通って大阪へ行き、また帰り同じルートを逆に
進む24枚帆の北前船の一航海の純利益がなな!なんと!1億円
だと資料館の解説に出ておりました。建造費は2億円、もうかる!
芸者が100人、神社が150と覚えましょう
という事で、給料も良かった船乗り目当てのお姐さんも集結していた
そうです。これも、明治になって鉄道が開通して終わりになりました。
もう一つ、隠岐4島に150以上の神社があることは初めて知りました。
最後は、売りの一つだったローソク島ですが、凪で観光船は出ましたが
生憎晴れ間が出ずに終わりました。お詫び?に絵葉書が配られました。
表紙、イカのマンホール蓋は前の浜にイカが押し寄せる由良比女神社の物
隠岐の人は、日間賀島のタコのマンホール蓋があるのは知らないでしょうね!
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