12国記の愛読者で、今年10月、11月発売の「白銀の墟(おか)玄(くろ)の月」を夢中になって読んでいる。計4冊もある。
話についても以前の内容とどうつながるの?と前の話の内容を確かめながら読むことになる。実際のところ、このシリーズの作品どれもだが、何度読んでも理解できないところが多いのだ。
12国記は難しい
12国記は哲学書を読んでいるような難解なところがある。というのがこれまで読んでみての総合的な感想。
このところの流行りで12国記は一読では理解できない。そう思うのはジルだけでないことが解りほっとしている。
ところが中村先生のペシャワール通信を読んでみると、これまで読んでいるだけでは理解できなかった個所が、なるほどこういうことをいっていたのか?と理解に結び付くことがあった。先生の言っていることが、遠甫と重なる。
風の万里黎明の空より
万里(バンリ)非常に遠い距離
黎明(レイメイ)という言葉から意味を探してしまう。
話は、陽子という主人公が、日本から12国記の慶という国に流され、王様業をすることになる。それまでは日本で17歳の高校生であり学生だったので、社会の成り立ち、政治や国の方針が定められずに苦労する。
遠甫(えんほ)という道を知る仙人に教えを請う。
王様業、国の方針を決めるのに悩んだ陽子が街に降りて、遠甫(えんほ)という道を知る仙人に教えを請う。
その時「冬、人に必要な物はなんじゃと思う?」と問われて、陽子は「暖かい家」と答える。
解答は「食料じゃよ。それは飢えたことのない国の物の意見じゃな」
「国の基は土地によって成り立っておる」
「いいかね、よく覚えておくんじゃよ。-人は真面目に働きさえすれば、とりあえず恙なく暮らせるものだけを持っておるんだ」
「-とりあえず天災も災異もなければ、一生飢えることなどありゃせんのだ。民はみんな最低限のことを国からしてもらっておる。それで本当に一生恙(つつがなく)なく暮らせるかどうかは,自分の甲斐性にかかっておるのじゃよ」
「・・・けれど、天災が起これば?」
「陽子が考えねばならんのはそこだ。民の全部を背負っておる気になるのはおやめなさい。お前さんがするべきことは、水を治め、土地を均し、自を律して少しでも長く生きることじゃな」
「そうなんでしょうか、、、」
「お前さんのするべきことなど、実は限られておるんじゃよ。旱(ひでり)にそなえてため池を掘って水路を整える。水害に備えて堤を築き、河を整備する。飢饉に備えて穀物を蓄える。妖魔に備えて兵を整える。法を整えるのがややこしいぐらいかの。-さあ、これで終わりじゃ。しかもこのほとんども、官が行うべきことでお前さんのすべきことじゃない。 はて?これで何に悩むことがあるかね?」
「国を豊かにしてやろうなどと、余計なことを考えるのはあとでいい。まず、国を荒らさないこと、これだけを考えるのじゃな」
という話なのだが、ジルは高校生の学生と変わりないことを思い知らされた。しかもその高校生は王様業を理解していくから素晴らしい。
ジルはわからないまま取り残された感じ。
これが不思議と、中村哲医師のペシャワール会で灌漑活動と一致してくるのだ。
なるほど遠甫は、こういうことを言っていたのか。と知った次第。
その陽子が決めた国の方針、初勅がかっこいいのでおまけに
「私は、慶の民の誰もに、王になってもらいたい」
「地位で持って礼を強要し、他社を踏みにじることに慣れた者の末路は昇絋の例を見るまでもなく明らかだろう。そしてまた踏みにじられることを受け入れた人々が辿る道も明らかなように思われる。人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。他者に虐げられても屈することのない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば糺(ただす)ことを恐れず、豺虎(さいこ、あらあらしく強い悪人・ケダモノ)に媚びす、-私は慶の民にそんな不羈(ふき/物事に束縛されないで行動が自由気ままであること)の民になってほしい。己という領土を治める唯一無為の君主に。そのためにまず、他者の前で毅然と首をあげることから始めてほしい」
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