雲泥の差を英語で言うと as different as chalk and cheese

先達ブログ
TeroVesalainen / Pixabay

ももじろうです。
いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

「老後を豊かにシリーズ」雲泥の差を英語で言うと
as different as chalk and cheese チョークとチーズ位差がある。

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雲泥の差がある。と報告を受けて

先日勤め先に着いた外国からのサンプルの検査をした担当者から「前回に比べたら、雲泥の差がある」と報告を受けて、さてこれをどの様に送って来た会社へのフィードバックに書くかと考えて書き始めてぶち当たったのが、「雲泥の差」でした。

直訳英語で「雲」Cloud「泥」Mud differenceもありましたし、意訳のwide difference (ワイド、ディファレンス=大いなる違い)段違いも有りましたが、英語社会で普通に言われるのがas different as chalk and cheese 上記でした。

chalk and cheese チョークとチーズは、外見は似ているが本質は全く異なる物の例えに用いられ、この場合のチョークは黒板の板書の白墨ではなく石灰岩の意味。
チーズの方は白カビに覆われている白い外見のカマンベールやブリーの事だと思います。

雲泥の差の意味

そして、雲泥の差の意味は、「雲」が「天」、「泥」は「地」で、大きくかけ離れた違いや隔たりがあることをたとえです。現代では格差の大きさを表している時に使われています。
白居易の詩『傷友』にある「今日長安の道、対面雲泥を隔つ」が語源といわれ

オリジナルが「昔年洛陽社 貧賤相提擕 今日長安道 對面隔雲泥」で、
昔は仲が良かった友達と疎遠になってしまったことへの悲しみが描かれ、意味は「昔、洛陽にいた時は貧しいながら助け合ったものだが、今日、長安の道で出会ったのに振り向きもしなかった。雲泥の隔たりを感じる。」

現代日本風に言い直すと「昔年長野社 貧賤相提擕 今日新橋道 對面隔雲泥」    「昔、長野(仮置き特別の意味はない)にいた時は貧しいながら助け合ったものだが、今日、新橋で出会ったのに振り向きもしなかった。雲泥の隔たりを感じる。」です。

何故、長野かと聞かれると困るのですが、つい野麦峠を思い出して・・。でも野麦峠を越えて行ったのが長野だとすると、飛騨?誰かに文句を言われそうなのでここいらで止め。

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ふわふわと言う英語はFluffy(フラッフィー)

全く別の話ですが、この頃はモフモフと言う言い方の方が多いですが、ふわふわと言う英語はFluffy(フラッフィー)と言います。これはNYタイムズの記事を読んでいて知りました。発音はふわふわの日本語に近いそれで擬態語の偶然が妙におかしいです。けば立つと言う意味も有ります。

先日のモーニングサテライトで、チェリー・ピッキング cherry picking サクランボ狩り、以外の使い方「恣意的運用」をパックンが説明しておりました。サクランボの熟した果実だけを選別することであり、転じて「良い所だけを取る」数多くの事例の中から自らの論証に有利な事例のみを並べ立てるとなります。

面白いから覚える、好きだから覚えると言うのが本当にこの道の幅を広げていく1つの方法

こう言ういつ役に立つかわからないが、面白いから覚える、好きだから覚えると言うのが本当にこの道の幅を広げていく1つの方法であると考えております。脇道だけ知っていると言うのはいけませんが、脇道も知っているのは頼もしいし、時には役に立ちます。