ももじろうです。
いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。
「老後を豊かにシリーズ」チコちゃんに叱られるで出た2月が28日しか無い訳、の捕足説明。7の6 追加の章1。
ビートルズのeight days a week
昔、古代ローマは1週間が8日だった。ビートルズのeight days a week は忙しすぎた時のリンゴのボヤキ『1週間に8日も働かされる』から出来た歌
Nundinum ナンディネー
古代のエトルリア人は、紀元前8世紀または7世紀頃にヌルディナムとして知られている8日毎のマーケットウィーク市場の開催日を作っていました。これが紀元前6世紀までにローマ人に伝えられました。その後ローマが拡大するにつれて、エジプトから伝えられた元はバビロニアで使われていた1週間は7日になりました。しばらくの間両者の併称が有りましたが1週間 7日のリズムが勝ち1週間8日は消えました。
太陽と月、そして裸眼で見える5つの惑星(火星、水星、木星、金星、土星)にちなんで名付けられた7日間のサイクルは、太陽の日(日曜日)にクリスチャンの集会について書いたジャスティン殉教者の時代にすでに慣習になっておりコンスタンティン皇帝は、西暦321年のローマ暦で7日を1週と定めました。
古代ローマの暦は月の満ち欠けに基づく太陰暦
古代ローマの暦は月の満ち欠けに基づく太陰暦でした。ローマの司祭は、カレンダーを調整する責任がありました。余分な月を挿入することで、与党政治家の任期を長くすることができますが、挿入しないと反対派の出現が早くなる可能性があります。
カエサル(シーザー)の時代までには、月は季節と完全に一致していませんでした。 カエサルは、厄介で不正確なカレンダーになっていたものを改革しました。
1世紀半ばにはカエサルはアレクサンドリアの天文学者であるソシジェネス(Sosigenes)にカレンダーの改革について彼に助言するように勧め、ソシジェネスは唯一の実用的なステップは月のカレンダーを完全に放棄することであると決めた。月は季節ごとに調整しなければならず、エジプトのカレンダーのように熱帯(太陽)年が使われました。
ソシジェネスの画期点
ソシジェネスの画期点は月のカレンダーの放棄であったことに注意してください。
それまでのカレンダー改革者が直面した大きな困難は、月が月の満ち欠けや年の季節と歩調を合わせることを可能にするような変化をもたらす方法がないことでした。
効率的な季節カレンダーを考案するためには、伝統的な計算で根本的な休憩をとることが必要でした。
新しいカレンダーを季節に合わせるには、さらに90日を追加する必要がありました。これは紀元前45年に行われ、445日の年を作りました。 「445日という年は、年代学者によって一般に混同の年と呼ばれていますが、Macrobiusによって、より正確には、混乱の最終年と呼ばれています。」7カレンダーの真実を確立する最初のパズルピースは、ユリウス週を理解することです紀元前45年の時代、教皇グレゴリー13世がそれを修正したときのユリウス暦の週のようには見えませんでした。これは、ユダヤ人とクリスチャンが礼拝する日に関係なく、ユダヤ人とクリスチャンの両方によってなされた最初の仮定です。
ユリウス暦
ユリウス暦は、それ以前の共和国の暦と同様に、もともとは8日周期でしたが、この週の改革はnundinae、8日毎に開催された定期的な市場の日(7日働いて1日休む週末の日)の改革でした。
ローマ共和国は、エトルリア人のように、カレンダーでAからHと記された8日間の「マーケットウィーク」を使用しました。市場は8日目に開催されました。その日から次の日当日迄数えたローマ人にとって、これは9日ごとで、それ故に市場は “nundinae(9日目、九の市)”と呼ばれるようになりました。市場サイクルは日常生活の基本的なリズムであり、市場の日は田舎の人々が街に買い物や娯楽にやって来る日でした。
現存している唯一のユリウス暦前のカレンダー
ユリウス暦の改正前から知られている紀元前67年から55年の間に作成された壁掛け暦Fasti Antiatesの再構成、まだ現存している唯一のユリウス暦前のカレンダー。 AntiumのNeroの別荘の場所で発見された。
Excelで再編成するとこんな感じです。
Beatles eight days a week
は忙しすぎた時のリンゴのボヤキから出来た歌Ain’t got nothing but love, babe Eight days a week. 愛する以外できないけれど一週間に8日愛するよ Eight days a week I love you 一週間に8日愛してる
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