ももじろうです。
いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。
「老後を豊かにシリーズ」チコちゃんに叱られるで出た2月が28日しか無い訳、の捕足説明。7の3 番組内容概要
2月15日の「チコちゃんに叱られる!」での「2月は何故28日」について。
なんで
答え ⇒ 2月が28日しかないのは、1年の始まりが3月1日だったから
以下其の番組概要です。知っている人、今日はこれだけですから終わりにして下さい。
ロムロス歴
実は私たちが今「2月」と言っている月は、最初は1年で一番最後の月だった、その時の暦は「ロムロス暦」といい、約2800年前に建国された古代ローマで使われていたもの。
当時の暦は、農作業のスケジュールを立てるための物なので…
春…種まき 3~5月
夏…みのり 6~8月
秋…収穫 9~11月
冬…休み 12月
冬は休みなので、今の1月、2月にあたる月はカレンダーになく空白の期間になっていた。つまり、1年の始まりを今の3月とし何もしない冬の1月と2月は数えず1年を10ヶ月としたが1年の始まりがいつなのか、わからなくなってしまった。
冬の2ヵ月の間、日付を数えていないので、今日が冬のどのあたりかわからなくなってしまった。その為「みんなが種まきを始めたから、今日が3月1日だ」となんとなく決めていた。これでは適当すぎるという事で…2代目のローマ国王ヌマは、11番目の月に今の1月を、12番目に今の2月を加え、1年を12ヵ月とする「ヌマ歴」を作った。この時、月の満ち欠けにかかる日数を元に1年間を355日と定めた。
ヌマ歴
月の満ち欠けにかかる日数はおよそ30日。これを一ヶ月とし各月に振り分けようとしたが、古代ローマでは偶数は不幸を呼ぶとされていたため1ヶ月を奇数の31日と29日にすることにした。その結果、2月には仕方がなく余った28日が割り当てられた。
当時ローマは国を大きくするために戦争に明け暮れていた。
ところが…ローマ人に限らず、古代の人たちは寒い季節は働かないし戦争もしない。1月と2月は全く活動しなかった。その為、春を待ち、新年の始まりである3月から戦争を始めていた。しかし時のローマ政府は敵国が休んでいる冬の間、1月から戦争をはじめれば有利に戦うことが出来ると考えた。
【注記:このころも含め、別ページでローマが領土を拡大する歴史をビジュアルにまとめた東急ハンズならぬ「ローマ範図」を作りましたので、そちらでご理解ください。この時のローマはちっちゃい中小企業ローマ丁度、尾張名古屋の織田家の類が美濃の斎藤氏に戦争仕掛ける様なレベル。大ローマ帝国がダキアやゲルマニアでの戦いをする何百年後とは基本的に違うと認識下さい。】
そこで1月から戦争を始めるぞ!という意味で1年の始まりを3月から、1月に変更する。これに伴い一年の最後だった2月は自動的に「2番目に繰り上がった」
紀元前46年のローマの8月
紀元前46年のローマ…8月だというのにローマ人は、寒かった。そこへユリウス・カエサルが現れる。戦争でエジプトまで行っていたと言う。8月なのに寒い、季節がずれているような気がする、カエサルは(戦争で行った)エジプトでは365日ある、という。ローマ人も、1年が355日だと季節がずれてしまう事に気付いていたので、22日間を一ヶ月とするうるう月を2年に1回足して帳尻を合わせていた。
ユリウス暦
ところが度重なる戦争に気を取られてこの大事なうるう月を何度も入れ忘れていた。
この様な状態がおよそ600年も続き、カエサルがエジプトから帰ってきたこの時、暦と実際の季節は90日間もずれていて、ローマ人が8月だと思っていたのは実際は11月ごろだった。そこでカエサルは、このずれを解消するために1年を365日とする「ユリウス暦」を作った。この時1ヶ月が29日の月に日を足して、一番日数の少ない2月には足さず28日のままにした。
テルミナリアの日は変えられない
2月23日は、3月1日からさかのぼって7番目の日は、ローマの守護神テルミヌス様の功績をたたえるテルミナリアの日。(ローマ人にとってとても大事なお祭り)
※ローマでは(月の後半の日付の呼び方を)『次の月の1日からさかのぼって◯日』という数え方をしていた。
もし2月に日を足してしまうとローマに定着していたテルミナリアの日の呼び方が変わってしまい混乱を招くことになってしまう。カエサルはテルミナリアの呼び方を変えないために2月は28日のままにした。
ここまでが2月15日「チコちゃんに叱られる!」の大まかなあらすじ。
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