格差拡大の今、聞くべきはメリー・ホプキンスが唄ったストリート・オブ・ロンドン

先達ブログ

ももじろうです。

いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

 

格差拡大の今、聞くべきはメリー・ホプキンスが唄ったストリート・オブ・ロンドン

Streets of London, Mary Hopkin ( 1969 Ralph Mctell )

日本語題名「悲しき天使」

今から半世紀以上前、ビートルズが席巻していた1968年ポール達が設立したアップルレコードの第1号アーティストとしてウエールズ出身の彼女を起用して、日本語題名「悲しき天使」(オリジナル題名:Those were the days = あの頃の日々)を大ヒットさせました。

いまでもユーチューブの再生回数は2千万回を軽くこえています。

なんでも「悲しき」

昔は、美空ひばりの悲しき口笛に始まり、レコード会社の人は、なんでも「悲しき」をつけて売り出したのでした。「あの頃の日々」をどういじると「悲しき天使」になるのか?

悲しみのジェット・プレーン  ピーター・ポール&マリー
悲しき雨音  ザ・カスケーズ
悲しみはぶっとばせ  ザ・ビートルズ
悲しみのアンジー  ザ・ローリング・ストーンズ
悲しき街角  デル・シャノン
悲しみの兵士  シルヴィ・バルタン
悲しき鉄道員  ショッキング・ブルー
悲しき初恋  パートリッジ・ファミリー
悲しき願い  アニマルズ
悲しきかた想い  ヘレン・シャピロ

右近さんと言う人のブログに「悲しき天使」の日本語訳が出ています
cocolog:@nifty

「悲しき天使」ちょっとだけさわりをコピペさせて頂くと・・。

かつて そこには酒場があった
わたしたちはよく乾杯をしたものね
覚えているでしょ 何時間も笑いあい
抱いた大きな夢を叶えようとしていたこと

(コーラス)
愛しき友よ あの頃の日々
それは終わることがないかのようだった
一日を 永遠を 歌い踊り
生きたいように生き
人生の闘いに負けなどないと思っていた
若さが何でもできると信じさせた
ララララララ・・・・
あの頃はそうだった
そう、あの頃の日々はそう信じて生きていた

 

なぜ、Streets of London で始まったのにこの話が出るのかと言うと、以下お話しするストリート・オブ・ロンドンと見事な対比をしていると感じるからです。

Streets of London

Streets of London は、アイルランド系のMc の付く苗字をもつRalph Mctell が1969年にヨーロッパをバスやヒッチハイクで旅をしていた時、パリで作りました。彼自身のレコードは暗い内容と本人が思っていたので、数年間のお蔵入りした後の1974年まで作りませんでした。メアリーは1971年の「大地の歌」(原題:Earth Song )で取り上げました。

 

 

Streets of London は、1975年にイギリスの代表的音楽賞でベスト作詞・作曲賞を受賞しています。

Ivor Novello Awards – Best Song Musically and Lyrically アイヴァー・ノヴェッロ賞

 

クリフ・リチャード、ブラック・モア・ホープキン、サム・ホイ、シネアド・オコナー、スクーナー・フェア、アンチ・ノウハウ・リーグ、ロジャー・ウィテカー、クレオ・ライイン、リアム・クランシーなど、200以上のアーティストがこの曲をカバーしています。

 

すでに、ポールとは音楽路線の対立で秘蔵っ子でなくなっており、後にこのアルバムのプロデューサーと結婚(後に離婚)したのですが、美貌と美声は世の男どもだけでなく同性にも大変人気がありました。大阪万博にも来日。

 

このURL等のユーチューブでぜひ天使の歌声を聞いてください。

長い枕でしたが、ここからが本題です。

先日、教育放送で12回放映したジャレド・ダイアモンド博士の「人の秘密」が終わりました。最終回は「格差」についてでした。一番印象に残ったのが、チンパンジーから500万年前に分かれたが今でも遺伝子は1.6%しか違わないと言うシリーズの中で何度も出て来た話に続き、2匹のチンパンジーの片一方には、好物のアボカドを与えずに、もう一方にだけ与えようとすると、その与えられ受け取れる(ハズの)チンパンジーが仲間への意地悪に異を唱え「アボカドを受けとらない」と言うくだりです。

 

ちょうど、メリーのStreet of London でなく、作者のラルフのユーチューブ

を視て詞を探し出して(グーグルで仮訳して、トンでもない訳の部分を意味が通るように作り直し)読んでいたので、ダイアモンド博士のチンパンジーの話には心のど真ん中を撃たれました。

人々の日々共通の問題

Street of London(の歌)は、人々の日々共通の問題を、ホームレス、孤独、老い、無視され、社会から忘れられた人々のものとして映し出します。

Street of London 試訳

閉鎖された市場であなたは老人を見ましたか?
疲れた靴で紙を蹴る?
彼の目にはあなたは誇りを見ませんでした。
昨日の新聞が、昨日のニュースを伝えます。

* だから、貴方の寂しさを聞かせてください
そしたら、あなたには太陽があたらないと言いますか?
ロンドンの通りをあなたの手を引いてロンドンの通りを歩きましょう
私はあなたが前向きに生きるよう心を変える為あなたに「何かを」見せましょう。 *

あなたはロンドンの通りを歩く老いた女の人を見ましたか?
彼女の髪の毛は汚れ、そして衣服はぼろぼろ
彼女は話す余裕の時間が無く、ただ歩くだけで
彼女が運ぶ2袋のボストンバックが彼女の家とも言える財産の全て

*(繰り返し)*
オールナイト・カフェでは、11時15分から
同じ老人がいつもの場所に座り
彼のお茶のカップの縁に世界を見る
毎日の紅茶の時間は1時間続き、その後彼は一人で家をさまよう

*(繰り返し)*
海軍での作戦の日々から遠くすぎた老人を見たことがありますか?
彼が身に着けている勲章のリボンの(色褪せが)が記憶を風化させる
私たちの冬の街では、雨は少し寂しいです。
すでに忘れられた一人の英雄とそれを気にしない世界のために

 

*(繰り返し)*

あの頃でなくでも“(そう)信じて他人の苦しみに知らぬ顔をせずに生きて行く”ことが必要

これがどうして、(悲しき天使)“あの頃の日々”と関係するのかと言うのは、2つの歌詞を読んでいただければお判り頂けると思います。昔、フランス人が言ったと言う「心は左、財布は右」の通り、その様に生きていく/生活するのが正しい道かもしれませんが、これまでと違い結果の平等でなく、チャンスの平等の機会が際限なく小さくなっている状況をチンパンジーにどう説明するかお考えください。そう、あの頃でなくでも“(そう)信じて他人の苦しみに知らぬ顔をせずに生きて行く”ことが必要だと思いませんか?