写真の許可は得ました。
市場のイタリア人経営のチーズ屋。
「真空パック」が明朗な日本語
会話は英語でした。話すうちに昨日の来た日本人のお客さんにもらったと、日本の旅行ガイド本に掲載された店のページを嬉しそうに見せてくれました。
自分の話はイタリア語。イタリア人がこうして自分の話をし始めるとたいていはさらに良いサービスにつながります。機嫌を上げた理由は朝一番の上顧客、高いチーズを購入したからでもあります。そういえばここでも「真空パック」が明朗な日本語だった。イタリア人にとっては発音しやすい音なのだろうか。
shinkuupatuku.ちなみにこのトリフいり山羊のゴルゴンゾーラはとても美味しかったです。山羊のうま味多し。ねっとりしています。チーズがいいと安いワインが美味いワインに変わる。と言って喜んでくれました。
フィレンツェ中央市場(Mercato Centrale)
位置的にはフィレンツェ中央駅の東側にある。下町でアジア系の人も目立つ。市場の外は露店が並びアーケードが出来ている。
お気に入りの中央市場に買い物に行く。実は下見をしていてその時に日本人の店員に声を掛けられた。残念だが彼女が売り込んできたペコリーノチーズはシエナで手に入れてしまった。
フィレンツェの中央市場は20数年前にイタリアに初めて訪れた時以来楽しみにしている場所でもある。色々な種類の豆を眺めたり、チーズの種類多さに驚いたり、美味しそうなクロワッサンに目が留まったり、鮮やかな食材が新鮮できれいな色合いを眺めているだけでそこはイタリアだった。有名な美術館や教会、今は存在しない人の絵画やいつみてもどこでも悲しそうな顔に耐えられなくなるとここにきて現実の幸せを感じる場所でもあった。
しかも昔の市場はイタリアその物で薄暗く、その暗さにわくわくして見に行っていた。15年前程前に入り口近くの店で二人の日本人がお勤めするようになり、閑散とした暗い中、店員の方から日本語で「こんいちわ」と声を掛けられた時には驚いた。こんなところで日本人にあうとは考えていなかったから。日本人が働くその店は明るくて小奇麗であるが、レイアウト含め日本の田舎のお土産売り場に替わっていてイタリアでなくなったことを感じたのだった。その時に危惧した現実を今回感じてきたのだった。
日本人の販売員が目立つ市場、見つかるとここぞとばかりに「こんにちわ」と声をかけてくる。それがたびたび続くとうっとおしいぞと感じる。できたらのんびりと自分の眼で眺めて歩きたいのにそれさえゆるされない。さらに市場の中は近代的に明るくなっていて驚いた。余計に知られてしまうではないか。
築地との違いはなにか
これが築地ならどうだろう。呼び込みの人が立っているが声掛けがあいさつという事はまれだ。であったとしてもそれに反応した人に、マグロどんぶりあります。という商品の呼び込み。紹介がある。それを希望していなければ反応する必要はないしいちいち返事をする必要はない。
男性なら粋に手を挙げるだけでさる姿もかっこいいだろう。女性なら軽く頭を下げれば済む。知らん顔して通り過ぎてもなんの問題はない。
現地でガイドもする方に、イタリアで働く日本人の変化について教えてもらった。これまでとは職種の変化があり、小売業の店員、レストランの給仕という人が増えたと聞いた。
20年前は厨房で働いている人が多かったように思うしそんな方は店の表には出てこない人たちで、直接色々な国の人に売り込みを掛けることのできる彼女たちのパワーは押しの一手だ。尋ねた商品、さらには自分の売りたいものを一方的に薦めて来る。
市場以外の店で、日本人の販売員のしつこさにへきへきとして「あなたの売りたいものと私の買いたいものは一致していないようですね」と言い切って黙らせてしまった。
自分の価値でもって物を欲しい人もいる。そんな後でもあったから余計に日本人店員に身構えていたところもあるだろう。
彼女が日本語を話したいから私に説明をしているのではと思うほど熱弁してくれる店員もいて自分が何をしに来たか忘れてしまったほどだった。なんというのか日本人の販売員だと築地の店員が醸し出す間や笑いがない。一生懸命商品の説明してくれるがそれは彼女の知識であってこちらに伝わる言葉ではない。残念だ。
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