Onde a terra acaba e o mar começa 地ここに終わり、海始まる。
ロカ岬に立つ
帰国日一日前、最終観光の日。今日はこの度の2番目の目的の「ロカ岬に立つ」日です。皆様がお調べになると、以下のページがネットで直ぐに出てきます。
ロカ岬(Cabo da Roca)は、ポルトガル共和国リスボン都市圏にあるユーラシア大陸 最西端の岬である。位置、北緯38度47分、西経9度30分。西には大西洋。シントラやカスカイスから、バスが出ており、リスボンからの日帰り観光も可能である。
ここには、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩『ウズ・ルジアダス』第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)」を刻んだ石碑が立っている。また、有料だがユーラシア大陸最西端到達証明書がある。5ユーロと10ユーロのタイプの証明書があるが、どちらにしても証明書には名前・日付等が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が書かれたものを入手することが出来る。
ユーラシア大陸最西端到達証明書
頂いた証明書ですが、取り出してみるといつの間にか、解けた蝋に刻印を押したリボン付きの部分(左下)が紛失しておりずいぶんと有難みが薄れたものになっておりました。探せど発見できず、こんなに狭い我が家のまた一つ不思議がふえました。名前は隠しました。
シントラから来ていると言う通常の路線バスは、観光地であるが村はずれのロカ岬までは来ておらず、歩いて岬に向かって歩いてくる2人づれを見かけました。ガイドさん曰く、「日本人のひとでしょうね!」と言う彼らをバスは追い越して岬に着きました。
我々より先に来ていた、韓国か中国のツアーがちょうど観光を終えて帰るところだったので、私たちツアー客だけで岬を満喫できました。我々が岬を離れる時にお2人連れはやっと到着。ツアーのバスは楽ちんだと思ったのでした。さらに、ツアーなので先ほどの“ロカ岬到達証明書は、前から連絡が行っており、ほとんど待つことなく観光が終わってバスに戻ったところで頂けました。
ロカ岬に立つ石碑には、一番上に一番大きな文字で「ロカ岬」次に「ここに地終わり海始まる」が小さな文字で書かれて、最後の2行中くらいの文字で PONTA MAIS OCIDETAL DO CONTINETTO EUROPEU ヨーロッパ大陸の最西端、と書かれています。大陸と言うならユーラシア大陸じゃないのか? 多分ヨーロッパとアジアのユーラシアでなく、ヨーロッパ大陸(どこのこと?)と学校で教えているのだと考えたわけです。
我々は、5大陸(ユーラシア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリア)と学校で教わりましたが、ヨーロッパでは6大陸?と考えました。
場所が場所なので、風が強いのには少し困りました。帽子が風で飛びそうになり深く被る必要がありました。風の無い日があればその日に又行きたいです。
世界遺産のシントラ王宮へ
その後、世界遺産のシントラ王宮へ他の施設と違い、内部の写真撮影がOKでした。
ポルトガルが1910年共和制になるまで使われ1940年に修復が行われたので、内部の状態は大変良い物です。リスボンから電車で行くのが一般的とのこと、バスが帰路駅の横をとりましたが、可愛い駅でした。
リスボンに戻り、ジェロニモス修道院とその前にあるベレンの塔と1940年に建立されたものが1960年にコンクリートで再建された“発見のモニュメント”を見ました。ただ、自動車の排気ガスで汚れたために大きな足場を組んで洗浄中でほとんどが覆いで隠され良く見ることが出来ませんでした。
ジェロニモス修道院バスコダガマのお墓(棺)
ジェロニモス修道院には、バスコダガマのお墓(棺)があります。なんたって彼の第1回インド行航海の成功を祝って作られたのがジェロニモス修道院ですから、1,500年前後に生きていた彼の身長が176cmと高いことを知りびっくり。当時を考えれば、彼は本当に大きな人だったと思います。
国の国民平均伸長はその国の豊かさに比例し、豊かな時には伸びて、疲弊すると平均身長は下がります。で、びっくりの本当の理由は、『今の私と同じ身長だ!』でした。ガマは貴族に列されその後の2回の大航海もこなして、貴族の中の位が上がり、富も大いに増えたそうです。
一番おもしろかったのは、ベレンの塔を回り込むように入ってきている水路が、満ち潮?になると中国の銭塘江、ブラジル・アマゾン川で有名な潮の逆流【海嘯(かいしょう)は河口に入る潮波が垂直壁となって河を逆流する現象。】に似た現象を起こし波が打ち寄せる度に大きな飛沫が観光客に襲い掛かる現象が起きること。
その後、目的4番の可愛い電車に乗る、5番目チーズを買うをこなしました。くれぐれもスリに気を付けてと言うツアコンとガイドさんの厳重なる注意があり、落ち着いて見られるものでは有りませんでした。
自由行動後に夕食を取ってホテルに戻ったのですが、ここで既にお話しした、バスの運転手がホテルを間違えると言う珍事が起きてその夜のファド酒場行が無くなりました。
これだけでは、なぜ朝ホテルに迎えに行った運転手が間違えるのだ、と疑問を持たれたと思いますが、実はポルトガルのバスの運転手さんは連続勤務時間が厳重に管理されており、運転中でもハイウエイ警官などが抜き打ちで検査に入り、違反があると運転免許取り消しとなるので、バス会社も8時間(昼食入れ居れば9時間)後の勤務がある場合には、運転手が代わります。つまり、その夜の運転手は我々が夕食を食べている間に交代した人だったので、間違えたのでした。
今回の旅行のまとめ
総括すると、日本から遠いですがポルトガルはまた行きたい国です。ファド酒場へもロカ岬も、今回行けなかったナザレへも行きたいです。リスボンもポルトもパリ同様にスリ・物取りがいっぱいいる。のが難点ですが。そこは何とか貴重品を身に着けず、と言う消極的防御で対処しましょう。この頃は、リスボンからのインターネット・ラジオ“ラジオ・アマリア”を聞いております。時間帯によってはお喋りが多いですが、雰囲気は良いです。
聖地サンティアゴ&ポルトガルの旅は終わります。
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