いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。
「老後を豊かにシリーズ」奇跡の病院列車 南アフリカ ぺロペパ その後1
2022年3月15日
尊厳を取り戻すには
2017年の1月に書いたこのブログ記事は、「スペインで始まった尊厳を
取り戻せる、救いの手の差し伸べ方。ロビンフッド・レストラン」でした。
その結論は、 |
貧困者に尊厳を取り戻すためには、その物自体の体裁が貧しい、
(貧困者用の)スープ配給所では難しいと神父は言う。 きっちりとした制服のウエイターから給仕され、 プラスチックでない、 ナイフとフォークを使うことで彼らに尊厳が戻る |
日本でのそれの炊き出しについて重要な示唆があると思います。
「問答無用」で扶養照会した杉並区役所さんも・・。
それとはいささか趣を違える事ですが、
『南アフリカの病院列車』“The Miracle Train”-非常勤講師資料室 (canpan.info)
非常勤講師資料室さんの2009年の記事にあったこの言葉
南アフリカの奇跡の病院列車に勤務しているスタッフのリーダー、
リリアン・シンゴ
(アパルトヘイト時代にロンドンに逃れそこで看護学や心理学を学んだ)
という50代位の彼女が病院列車に乗り込んでいる実習生達に言った言葉
「この列車は、ただ単に肉体的な治療を行うだけのものではありません、
この列車は感情の面で、心理的な面で、そして精神的な面での治療を行い、 そしてここには多くの人がそうした治癒・治療を必要としているのです。」 |
に引かれて今回その後(Ⅱ号脱線とⅢ号の準備)含めて紹介します。
部外者の私たちには“奇跡の病院列車”ですが、南アの医療に取り残された
地域の人たちにとっては“希望の病院列車”と呼ばれているそうです。
表紙の写真、ご覧ください。
ぺロペパPhelophepaは、現地の方言で「健康」を意味する
トランスネットとヨハネスブルグ大学のジャニー・フェレイラ教授が
考案したぺロペパは、南アフリカを巡回して最も遠隔地や農村部の人々に
基本的な医療を提供する列車医療施設です。
1994年1月10日、トランスネットと、ヨハネスブルグの
ランドアフリカンズ大学の眼科部門が協力し3両編成の
眼科クリニックで始まった。
1994年中に、列車は13編成に拡大され、健康教育、ヘルスケアを追加
1995年歯科治療車を追加
1996年までに、列車は16車両
2012年3月ぺロペパⅡが運行開始
2018年、1編成の車両数は19両に増加
年間年間38週稼働の列車は、食堂&台所車両、洗濯&アイロン車両、
住居車両、絶対に発電を止めない為の2基の発電エンジンを持つ車両等
列車内で生活が完結するように出来ています。
下は、薬局列車と眼科(アイクリニック)列車
薬局は人々に薬を正しく服用する方法とその副作用を教育します。
2022年1月20日のエンジニアリングニュース(下記英語版)に
1994年から続く奇跡の病院列車ぺロペパ、Ⅱ号の脱線事故ニュースが載りました。
Rain blamed for Phelophepa II Healthcare Train derailment (engineeringnews.co.za)
Rain blamed for Phelophepa II Healthcare Train derailment
南アフリカ、豪雨でぺロペパII病院列車脱線
ぺロペパ病院列車ⅠとⅡは、南アフリカ全土で保健サービスを提供します
2022年1月20日
BY: DARREN PARKER
ぺロペパII病院列車の7両の車両が、1月19日18:05頃、
東ケープ州アデレード近郊で脱線しました。
国営鉄道事業者トランスネットの企業ソーシャル投資アームトランスネット財団の
健康ポートフォリオ・シニアマネージャー シャモナ・カンディア は、
車列の最後(13番から20番)7両が脱線したと
エンジニアリングニュースに語っています。
世界的に有名な南アフリカの病院列車は、今年訪問を予定していた
コミュニティの1つであるMthathaに向かって走行していました。
「私たちは心が痛いです」と運航マネージャーのカンディアは言います
途中略:
カンディアMgr.は、損傷や怪我が最小限に抑えられているのは、
スタッフや精密医療機器を乗せた「専門旅客列車」のために
ゆっくりと移動することを余儀なくされている列車の速度制限
のおかげ(?)の可能性があると述べています。
「だからこれだけで済み、これ以上の大惨事を防いだのだと思います。
そうでなければもっとひどかったかもしれない」と彼女は言う。
ぺロペパ病院列車は、過去27年間南アフリカ全土で質の高い医療サービスを
提供してきた2つの主要な病院列車Ⅰ号とⅡ号で構成されています。
ぺロペパⅠ号は(Ⅱの脱線の)影響を受けず、計画通りにスケジュールされた
サービスを継続しますが、カンディアMgr.は、同様の事件が起こるのを防ぐために、
目的地に向かって非常にゆっくりと移動していると説明します。
列車が安全に運行出来ると宣言されると、ぺロペパIIのサービスは再開されます。
編集:シャネル・デ・ブリュイン
クリーマーメディアシニア副編集長オンライン
赤線がぺロペパⅡの運行ライン
ぺロペパ誕生から今までのお話し
以下、ルモンド・ディプロマテック 2013年記事より抜粋
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2年も待っていました
列車の到着を予告するポスターが地域全体に貼り出されている。
地方ラジオ局も到着のニュースを伝える。
「このときを2年も待っていました」と一人の女性が興奮気味に
話してくれた。ぺロペパ号が到着したのである。
病院列車誕生
アパルトヘイトが終わった後、南アフリカ政府が5,000万の国民に
基本的な福祉サービスを提供できていない現状から、生まれた。
40年以上にわたるアパルトヘイト政策が終わりを告げた時、
この国は、世界有数の医療制度を有していた。
しかし、それは白人専用の地域に限ってのことだった。
公立病院職員における黒人と白人の数の均等化に向けて、政府が
1997年に開始した政策で多くの専門職が民間に流出。その為に
突然、公立病院のノウハウ蓄積が消えて無くなってしまった。
与党アフリカ民族会議が、極めて政治的なやり方をした結果、
利益誘導と汚職のせいで医療システムがだめになった。
こうしてぺロペパ号が必要不可欠なものとなって行きました。
マジブコ医師は言う
「私たちは、1994年から毎年4万6,000人の南アフリカ人に
必要最低限の診療を施してきました」とオンク・マジブコ医師は言う。
30歳代の精神科医で、2年前からぺロペパ号の院長を務めている。
彼は、毎年1万5,000キロを移動して、
南アフリカの恵まれない人々のもとを訪れている。
19人の巡回医師が彼とともに働いている。
国内の名門医科大学数校から実習生が40人ずつ輪番でやって来る。
実習生は、巡回医師の指導を受けながら働いて卒業認定を受けるのである。
「彼らにとっては初戦地の洗礼のようなものですよ」と
マジブコ院長がそっと言う。
本日はここまで。2に続く
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