豊かな老後暮らしのはずが、いつの間にか浪費生活者

日々是好日
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実際の老後生活を考えると知るべきだが、定年退職時の退職金は楽しみでもあり、金額を知りたいような知りたくないような。

停年退職して年金生活になり時間ができると高齢者が陥りやすいのが消費生活者になることだろう。母の優しさで、わずかの退職金は父の物になった。こうしてお金を手にした父の浪費行動が参考になりそうだ。高齢者がおちいる浪費生活にはどんな物があるだろう。

偏った趣味にお金をつぎ込む

父の場合のそれは石垣だったのだが、時間があるからと業者に注文せず自分で組んだ。その費用は結局、道具代金、素材すべてそろえることになり、高い趣味についた。

落ちた穴は時間つぶしだったのだと思う。こうして暇だからとできることをしてしまう。出来上がってみると、非常に高い物についていたり、あらゆる道具が増える。

父の石垣は、それはそれは立派な石垣を積んだのだが、残念なことに敷地の裏側になり、誰にも見えない。

父に年金の管理をさせていては破たんしそうだと家族で話し合いがもたれ、年金の管理は母がすることになった。75歳の夏。父個人の貯金はほとんどなくなっていた。

ショッピングセンター

病院の帰りにカーマなどの道具が並んでいる店に立ち寄る。そこで買う物は、ちょっとした道具。カンナなら大から始まり小まで、我が家の納屋はカーマの店並みに物が揃っている。のが自慢なのだが、整理整頓ができない父なので、あるはずが多すぎて、本当に必要な物は、皆黙って買いに行く。その方が早いし騒がしくない。

これは高齢者が陥りやすい買い物依存症と言えるだろう。今必要な買物ではなくいつかに備えるための買い物。このサイクルにはまると一つ一つは少額でも、物は増え、物があふれ収拾がつかない状態になっていることに気が付かない。

こずかいで買う買い物は、自分の中で一回で一つだけと決まりごとがあるのか、揃えて買うことはなく一つずつ。家族の意見はだから余計に物が揃わない。

ウインドウショッピングだけで済まない

店に入ると何かを買わずにはいられないらしい。これも買物依存症と言えるだろう。

そんな時は文房具。特に鉛筆やポールペン。を買って帰ってくる。実家の引き出しには、そんな文房具が一揃いある。ジル達の机の引き出しの中にもいつの間にか一揃いの文房具。

私たちがいない時、父がその机で書き物をするらしい。引き出しのペンは父と共にどこかに消えてしまう。それがわかるのは文房具の入れ替わりがあるからで、減っている時もあり、もちろん増えている物もある。

使ったものを元に戻さないとジルが怒るので、ジルが揃えたものはなくなっていないところが面白い。自分で入れたものは覚えているようだ。しかし書けないボールペンばかり集まっている。たぶん書き始めたが使わないペンで詰まっていて次から次へと試したのだろう。そしてそれは忘れられた。鉛筆は何時も削ってありツンツンにしてあるが、これも使う機会がないのが残念、昔と違い長いままだ。そしてこの頃増えているのは付箋である。

スーパー

買物に行くと父の目に付くのは割引のシールがついた食品。お買い得の大袋。母がいらないと言うとしぶしぶ返しに行く。自分が節約家であることをアピールしたい買い物だと母は手厳しい。消費できる量が理解できていないのに、シールに惑わされた買い物が増える。

この頃の高齢者の浪費生活にはネット・TVショッピング

今では出かけずに買い物ができるネットショッピングも高齢者の買い物依存に結びついていると言う。ネットや、テレビショッピングができない父で良かった。次から次へと注文して宅配便の列ができていたかもしれない。