「あきない世傳」砥川の桟留革(さんとめかわ)サイフとスペイン・トレドのサント・トメ教会 20240626
「あきない世傳金と銀、十」の桟留革(さんとめかわ)
髙田 郁 著「あきない世傳金と銀、十」を読んでいたら桟留革(さんとめかわ)の
紙入れ(サイフ)と言うのが出てきました。主人公「幸」に「菊枝」が
「旦那さんの紙入れ、あれは極上の桟留革(さんとめかわ)だす。、、、」と説明するのですが、
世間知らずの“ももじ”は何のことか、判りませんでした。
黒桟留(さんとめ)革提げたばこ入れ – 不明 — Google Arts & Culture
ググると
桟留(サントメ) とは? 意味・読み方・使い方
1 「サントメ革」の略。
〈サントメ〉から南蛮貿易によって渡来した
漆が塗ってある特殊な革であったことから渡来地の名前を取って
桟留革と呼んだ。
2 「サントメ縞 (じま) 生地」の略
そして、サン‐トメは、 (ポルトガル語) São Thomé 《聖トマスの意》
以上が判明して、回り廻って以下の事が次々に判りました。
すべてはアジアの香料貿易を目指したポルトガルの思惑から
50年前に1度行ったことのあるスペイン・トレドのサント・トメ教会
(今はNHKの世界街歩きで視ております)と同じ、《聖トマス》を祭った
チェンナイ(1640~1996イギリス命名:マドラス)のサント・トメ教会
及びその周辺をサント・トメと呼んでいた
日本にも訪れたイエズス会の創設メンバー、フランシスコ・ザビエルたちは
来日前にインドで、西海岸のポルトガル領のインド経営中心地ゴア(1534年
ローマ・カトリック教会大司教座が置かれた)より東海岸の布教に行った。
そこで彼らは聖トマス行録から千年以上後(のち)のインドで、聖トマスの
信者たちに出会ったことが【ザビエル書簡】に記録されているとか。
サント・トメSão Thomé がなまって桟留
南インド東岸の(現在ではチェンナイ都市圏に含まれる)港町サント・トマスSt.Thomasこの地名がなまって〈サントメ〉から南蛮貿易によって渡来した
皮は、漆が塗ってあった革であることから土地の名前を取って桟留革と呼び
同じく、その南蛮貿易でもたらされた特有の縞模様の生地を
「桟留縞 (じま) 」と読んだ。
現在の、米国領ヴァージン諸島のセント・トーマスも名前の出どころは同じ。
桟留(さんとめ)縞(じま) と、マドラスチェックは兄弟柄?!
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ここからです。1510年にポルトガルはゴアを占領した後、インド南部の
東・西海岸地域を植民地化しましたが、東海岸のチェンナイは1640年
イギリスに奪われチェンナイから「マドラス」と改名されました。
1996年迄その名前が使われましたが、イギリス植民地当時の名前を変える
運動が起き1996年元々の名前チェンナイに戻りました。
日本に伝来した「桟留縞 (じま) 」ですが、マドラスチェックと兄弟柄と
思いました。上の生地写真と下の生地写真、大変よく似た感じでしょ!
マドラスチェックとは、インドの旧マドラス(現チェンナイ)地方を原産とする極彩色のチェック柄のこと
マドラスチェック 生地の特徴 – 生地事典サイト Fabric Summary (fabric-summary.com)
カソリックと同じく南蛮貿易は闇が一杯
「あきない世傳」砥川が桟留革(さんとめかわ)を使用しているのが赤穂浪士討ち入り(1703)から47年後の1750年の人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』以降ですから
1549年ザビエルの来日から200年後の日本で砥川が桟留革(さんとめかわ)サイフを高級奢侈身の回り品として使用していても不思議はない。
ご老中でも手出しができない“大奥、長崎、金銀座”の南蛮貿易の奥深い所。
今は殆ど価値ありませんが、1970年代の日本でのLVサイフみたい!
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