いつも妻がお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーが、ポルトガル・ツアー第2章を始めます。
出発は朝7時からのサンティアゴ・コンポステーラ日帰り観光
昨晩、引き留めるアルメイダ支配人を振り切り11時過ぎにホテルへ帰ったのは、本日のサンティアゴ行があったからでした。翌朝7時からバスでスペインに向かいます。
今回の目的1番、パリから1,600Kmサン・ジャン・ピエ・ド・ポール(フランス側最後の町)から800Kmのカミーノ(巡礼路)目的地サンティアゴ・コンポステーラを視ることは最初にお話ししたとおり。我が人生現時点での最大目標の1,600Km(状況により距離短縮)巡礼を物好きにもやり遂げたい為。理由は有りません。ただやってみたい!それだけ。
普段は『CDより重たいものを持ったことが無い。』生活で、苦行の巡礼ではないが巡航(行)を行う為に必要な、気力・耐力・筋力・金力を準備するのは当然ながら、周囲に『俺はやる!』と公言し退路を断つ必要と目的地を先に訪れ目標を明確に持つ為の今回サンティアゴ訪問です。バスで。
ヨーロッパ・コーヒー事情
ポルトガル入りした際2回目のトイレ休憩でコーヒーを飲んだ時『カフェ・コン・レッチェ』と言って注文したら、注文通りミルクコーヒーが出てきました。イタリア含め通常のヨーロッパ・コーヒーは我々には大変濃いので10年前のイタリア旅行では、“カフェ・ラッテ”を良く頼んでいました。2016年夏のイタリア旅行では普通に“カフェ・アメリカーナ”がメニューに有りましたのでそれを注文していました。ポルトガルにはまだその波は来ていません。
ポルトからサンチティアゴに到着したら正午を過ぎていた
バスが大きなサンティアゴ観光用の大バス停車場に止まる少し前の道すがら「コンポステーラこちら」の矢印が有りました。サンティアゴ・コンポステーラ到着です。この長い名前については次の様な解説をネットで見つけました。
サンティアゴは聖ヤコブ(サント・ヤコブSanto Yacob)に、コンポステーラは「墓廟(コンポシトゥーム compositum)」を意味するラテン語に由来するといわれる。コンポステーラの語源を「星の野(カンプス・ステラーエcampuss stellae)」とする研究も散見されるが、最近の研究ではコンボステーラと「墓廟」との関連を指摘する向きが多い。
バス停車場付属無料トイレを済ませた後、大聖堂に向い歩きます。途中多くの店から店員が出て、惜しいことに日本語でなく英語で焼きたてのクッキーを買わないかと声掛けをしてきました。
大聖堂での買い物は巡礼者の印・ホタテ貝
大聖堂到着時すでに正午過ぎでした。スペインとポルトガルでは標準時の採用基準が違い時差1時間、ポルトガル午前11時=スペイン正午、たとえ子午線の近くにあっても、スペインはフランス等に合わせているので1時間早いからです。
『まずは、お食事』と言うことで丘を少し下り町中へ、その名もドンキ・ホーテ・レストランで食事となりました。
昼食後、向い側の丘にある公園へ上がり大聖堂全景を記念撮影(パチリ)。
再び大聖堂に入場するために旧市街へ、1843年創業の薬局(現在営業中)等を見ながら大聖堂を4分の3周して裏から入場しました。(2016年11月時点、正面玄関改修中)内部見学は自由行動。教会内部祭壇は他のポルトガル各地の教会同様に大航海時代にブラジルから持ち帰った金銀の富に明かした豪華な作りですが、今見るとその後のポルトガルと言う国の後退と同じように侘(わび)しく佇(たたず)んでいます。巡礼者の印、ホタテ貝を売店で購入して集合場所へ。
ポルトにて夕食、“ヌベール・キュイジーンヌ(新料理)”
大聖堂を見学してバスで帰路移動します。疲れてしまい、帰りの車中ではみんな寝ていました。夜遅くにポルトへ帰着、食事は宿泊のホテルで取りましたが、意外と美味しかったです。フランス語で言う所の“ヌベール・キュイジーンヌ(新料理)”の流れを取り入れた感じです。日曜日か月曜日は休みを取るところが多いのですが、今日は日曜日で酒場ポルトのファド酒場も休日です。私も疲れ切って食事後は直ぐに就寝しました。
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