父島3日目の朝
ターンハウス美津
宿泊先のタウンハウス(インターネットではどれも、ターンハスウとなっていますが、実際に伺ってみるとTown Houseと看板が有りました。でも、もらった領収書にはカタカナ名「ターンハウス美津」と書かれておりました。)
美津のたっぷりの朝ご飯(バイキング式、納豆、ヨーグルト、ジュース類、ネスカフェドルチェグストの本格コーヒー)を食べて、同行のG73 (ゴルゴ13では有りません。73です) から『今日何しましょう』と相談がありました。
予定のない旅の良さ
帰る日の船に乗ることだけが決まっている予定の決まっていない旅の良さはここにあります。
朝起きて食事を食べてから、今日何をするかを決めるのです。我が家の旅はこの頃こんな具合です。旅の醍醐味の一つです。
父島を自転車で回る
そこでG67の私の提案は、昨日小笠原観光協会で頂いたパンフレット“父島 自分で行けるMAP” の(車や歩きでと言う)1周コースを自転車で回りましょう!でした。
先ほど旅の醍醐味と書きましたが、1つ問題がありました、それは後程書きます。
レンタル自転車を借りる
ターンハウス美津で、自転車を貸し出していたので、頼むと『電動か普通のかどちら?』と聞かれましたので、『一周します』と言うと『それなら電動(アシスト)でないと(坂が一杯あるので)廻れない』と言われて、電動に決定。
これが本日の我々の指南役地図。時計の反対周りしたので、地図の上りは我々の下り。
地図の小笠原水産センターの少し上の三叉路横の美津から出発し、左折する夜明山道路に入らずまっすぐ行き境浦海岸を目指しました。
飛鳥Ⅱが神戸からの1週間のクルーズで孀婦岩(そうふいわ)
途中気が付きましたが、飛鳥Ⅱが神戸からの1週間のクルーズで孀婦岩(そうふいわ) 【詳しくは2018年9月28日(金) NHKニュース奇跡の巨岩「孀婦岩」に迫る!で】を見て父島によるコースで二見湾に入港しておりました。一番安い部屋で25万円だそうです。
五万トンの船体を係留できる小笠原のブイが一つだけのため湾内中央で停泊。
1995.9.11–父島 境浦 Kazuto Nakanishi さんのページでは、
ウキペディアでは:濱江丸(ひんこうまる)は、大連汽船が1936年に建造したばら積み貨物船。太平洋戦争で日本海軍に徴用され、1944年に空襲により父島で大破放棄された。残骸が戦後も長く放置され・・。
それから幾星霜(たった23年ですが)2018年11月では、ほとんど残っておりません。
緩やかな登りも爽快に走る電動アシスト自転車
境浦までゆるやかに上りでしたが電動アシストで楽々に登って来ました。座礁船を見た後はゆるやかな下りで扇浦海岸までラクちんでしたが、亜熱帯農業センターまでは急な登りでさすがの電動アシストも残量ランプ(3段階の最後の1つが)点滅し始めたので、押して登りました。
先ほど後で書くと言ったのはこのことです。
前の晩に今日の予定を告げて電動自転車の電池充電をしっかり完全に行っておけば、走り始めて直ぐに残量ランプ2が点滅する、充電不充分状態での発車はなかったハズ。
亜熱帯農業センターへの入口横の峠を超えた後は下りで小港へ降りてゆきました。
この後、父島で農業を営なんでいる人の畑で四角豆(熱帯原産のマメ、英名Winged Been)
昨晩、居酒屋でたべたこの豆のぬたは大変美味しかったです。
それと鶏たち(卵は島のスーパーで売っている、直接買いに来る人も居るとか)を見せてもらい、振り出した小雨の中亜熱帯農業センターの峠下まで坂道上って右に曲がり本日のメインイベント、山岳コースに入りました。
地図の下りは、私達には上がり(登り)です。およそ1時間半、電池残量のない電動自転車は重いだけでかえって負担です。
クネクネと曲がる山道を、他の小笠原自然観光客を乗せたバンや、レンタルバイクが楽々と登って行きます。あるいは降りてきます。
持参の水筒の水の残りも気になる中、少し登っては休み、を繰り返しつつ、ついに中央山入口までたどり着きました。バテバテかと言うと途中では死ぬかと思いましたが、過ぎてしまえば何とかなりましたと言う具合です。
3日目途中まで一旦、終わり。
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