“手数料と物流の経済全史”を読む 致仕風靡 20230405

致仕風靡(ちしふうび)

 

ももじろうです。 いつもジルがお世話になっております。

世帯主で主夫のパートナーです。

“手数料を物流の経済全史”を読む 致仕風靡 20230405

 

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ショバ代=手数料、中抜き=物流

 

覇権国家がショバ代の手数料と物を運ぶ物流で世界からお金を稼いで

いるという視点が重要だと言う本。

 

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オゴタイ‐ハン国は無かった

すっと昔に読んだ随筆で、その人の母親(推定70~80歳)がある日

突然女学生時代に学校で習い覚えた、何かを呟いたというところがあり

私にも同じ記憶が有ったので、よく理解出来ました。

私のソレは、中国春秋戦国時代の7か国『燕・斉・楚・秦・韓・魏・趙』

と元の後の4つのハン国(キプチャク、チャガタイ、オゴタイ、イル)でした。

 

いろいろ為になることが満載の本ですが、その中でも私にとっての

白眉は昔学校で習った(今も覚えている)モンゴル帝国元が後に

4つのハン国(キプチャク、チャガタイ、オゴタイ、イル)に分かれ

たと言うのが、今回著作では大ハーンの居る元はそのままで、その下に

キプチャク、チャガタイ、イル-ハン国がのれん分けして誕生したと

言う最新研究の結果が書かれております。

 

これからは、『元、キプチャク、チャガタイ、イル』と唱えなくては

いけません。

 

為になる部分は多いので、以下の2つの部分はももじろうにとって

の違和感でこの著作の価値を下げるものではないと思いますが

思いを述べさせていただきます。

 

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ペルシャの小さな局地戦?

  • メネス朝ペルシャとギリシャ(連合軍)との戦いを大ペルシャに

とっては小さな局地戦としていること(その後アレキサンダー大王に

よって滅ぼされるきっかけとなったのにも関わらず)

 

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ナイロンはアメリカ、ドイツはPVC

 

  • ドイツ隆盛のきっかけが、植民地が無い(実は少ないが正しい)ので

重化学工業に投資して、ナイロン等の化学繊維を開発した。

と言う既述。P331にはこのナイロンと言う言葉が3回登場します。

1884年 フランス、レーヨン発明

1931年 ドイツでPVC(ポリ塩化ビニル)開発

1935年 アメリカでナイロン

1939年 京都大学でビニロン発明

と言う化学繊維言わば常識から言うと、ドイツが化学繊維開発の先陣を

切ったことは事実ですが、ナイロン、ナイロンと書かれると

少し違う気がします。

 

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これから先は長いので読みたい人だけが読んで下さい。

資料:

  1. アケメネス朝ペルシャとアテネ(又はギリシャ連合軍)との

戦争についての本紙の記述はこうでした。

 

ギリシャ側からの見方によれば、(紀元)前490年マラトンの戦い

前480年サラミスの海戦、前479年プラタイアの戦いでペルシャ軍を

破り、戦争に勝利したとされる。

だが、アケメネス朝ペルシャと言う大帝国からすると、ペルシャ戦争は

大戦争というより、比較的小さな局地戦にすぎなかったと見るのが適切

 

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塩野七海著「ギリシャ人の物語」ⅠⅡⅢを読むと

 

ペルシャ王ダリウスにとってマラトンの戦いは小さな局地戦だった

かもしれないが、無敵の「王のなかの王」率いる2万5千がたった

1万のアテネ軍に敗れた結果、これまで抑え込んできた属州の各地で

反乱を招き、その鎮圧にマラトン撤退からの4年以上を費やして

ダリウス本人は逝去する時、息子クセルクセスに遺言でギリシャを

滅ぼす様に

サラミスの海戦の前哨戦テルモピューレの戦いではスパルタの王

レオニダスが率いるスパルタ軍を最後には数で圧倒して全滅にしたが

サラミスの海戦では頼みにしたフニキュア海軍がペルシャ王の

クセルクセスの眼前で壊滅しただけでなく総司令官の重責を託され

フィニキュアの旗艦に乗っていた実弟が戦死。

最後は本体を残してアジア側(現トルコ)へ2カ月かけて逃げ帰った。

翌年のプラタイアの戦いでは残留していた30万以上のペルシャ軍と

ギリシャ連合軍が戦い、前年の海戦ではフェニキュア海軍が負けたの

だが、今回はペルシャ陸軍本体が数で劣るギリシャ軍に完全なる敗北

をして、ギリシャをペルシャの属州にするという野望がついえた。

その後精神に変調をきたし、王族内に深刻な問題を引き起こした。

これが小さな局地戦?

 

 

手数料と物流の経済全史 | 玉木 俊明 |本 | 通販 | Amazon

 

序章 プラットフォームをつくる権力者たち

P10

手数料はなぜ重要なのか

(前段略)

手数料(コミッション)は目に見えない。そのため、これまでの経済史

では、あまり重視されてこなかった。だがプラットフォームを重視する

立場からは、手数料はきわめてたいせつになる。それは、覇権国家が築い

たプラットフォームを使用することに対し、他国は手数料を支払うことに

なるからである。

それをもっとも完全に近い形で体現したのは、19世紀末のイギリスで

あった。世界最初の産業革命は18世紀後半のイギリスで生じたが、19世

紀末になるとイギリスの工業生産はアメリカやドイツに追いつかれ、やがて

追い抜かれた。この頃にイギリスの産業の中心は、工業から金融業に替

わったといわれるが、これは各国の経済の関連性を重視しておらず、

支持すべき考え方ではない。

たしかにイギリスは、20世紀初頭には、世界の工場としての位置を

アメリカやドイツに譲ることになった。だがその一方で、イギリスは

世界最大の海運国家であり、世界中の商品を輸送したばかりか、ドイツ

とイギリスの工業製品の少なくとも一部はイギリス船で輸出され、イギ

リスの保険会社ロイズで海上保険をかけたのである。

さらにロイズは海上保険における再保険(保険会社がリスク削減のため

に、保険にさらに保険をかけること)の中心であり、再保険市場の利率が、

海上保険の利率をかなりの程度決定した。

 

物流の重要性

人類は世界中を移動したが、それはまた、世界中で人々が定住すること

も意味した。定住生活するようになった人類は、農耕生活を営むように

なった。その一方で、移動する人々もいた。彼らの手を通して物産も移動

することになった。移動と定住は、決して相反するものではなく、相互

補完関係にあるものだった。

(途中略)

アジアは、一般に第一次産品の輸出地域であり、ヨーロッパは、工業国

であった。アジアがヨーロッパに従属したのは、ヨーロッパに対する原材料

の供給地であったからだとされる。だが、それに加えてヨーロッパ、に

輸送経路を握られていたという事実を軽視してはならない。工業国と第一次

産品輸出国による国際分業体制という視点からの分析だけでは、現実の経済

で非常に重要な流通過程が抜け落ちてしまう。

工業国が第一次産品供給地域を奪取したことは、ある程度、事実であろう。

これまでの議論の問題点は、流通過程を誰が担うかという問題を無視ないし

軽視してきたことにある。工業国が第一次産品輸出国を収奪できたのは、

その輸送経路を押さえてきたからである。それを無視して。支配=従属関係

を語ることは無理であろう。

 

P340

コミッションによる収入

じつは貿易収支の点では、イギリスは貿易立国ではなかった。

イギリスの貿易収支が黒字であったことは1710~1900年において、

ほとんどなかったのである。

「世界の工場」といわれ、綿織物工業によって世界最初の工場国家

になったイギリスであったが、貿易収支から判断するなら、それは

イギリス経済に大きなプラスを与えてはいないのである。

しかし19世紀後半以降、海運業からの純収入、保険や貿易による

利益、サービスからの収入が多く増えていったのである。

19世紀のイギリスは、世界最大の海運国家であった。そのため

イギリスの海上保険は、大きく発展することになった。そして、

サービス部門の収入としてもっとも重要な部門に、イギリスが他国を

圧倒していた保険と電信が考えられる。

世界の商業取引の決済がなされる場所こそ、世界経済の中心となる。

国際貿易の決済のほとんどは、そういう場所でなされる。そのために、

決済の中心地をもつ国に多額の手数料収入が流れる。

そもそも国際貿易の決済ができる都市はかぎられており、その都市が

世界金融の中核であり、その都市が属する都市は膨大な手数料(コミッ

ション)収入を手に入れることができる。

国際貿易の決済の多くは、イギリス製の電信を用いてロンドンでなさ

れた。諸外国はイギリスにコミッションを支払わなければならなかった。

電信は、イギリス資本主義の象徴であった。

 

P341

「コミッション・キャピタリズム」の誕生

世界の多くの地域で経済成長が生じたとすれば、イギリス製の電信機が

使われたので、他国が製剤成長したとしても、イギリスは十分に儲かる

手数料を獲得できる仕組みができあがっていった。イギリス以外の国が

(ももじ注:が×、〇で)取引される取引される場合でも、イギリス製の

電信、船舶、さらには海上保険が用いられ、ロンドンの金融市場で決済

された。

しかも鉄道の情報のやりとりには、電信が使われた。イギリス製の鉄道

でなくても、情報のやりとりのための電信の多くの部分はイギリス製で

あった。そのために鉄道の発展によっても、イギリスに、手数料収入が

入ってくることにシステムが構築されたのである。イギリスの資本主義

とは、「コミッション・キャピタリズム」といって過言ではない状況が

生まれた。

世界の国々はイギリスのインフラを使わなければならなかったからで

ある、そのなかでもっとも重要だったのは、電信であった。

イギリスはすべてがイギリスの利益になるようなパッケージをつくり

上げ、その中核に位置したのが電信であった。世界経済が成長し国際貿易

での取引が増えることで、イギリスは「自動的」に収入を増加させること

ができたのである。それがイギリスのコミッション・キャピタリズムの

最大の特徴であった。