オラ東京さ行くだ!その1皇居東御苑 プチ旅EDO・Tokugawa family Legacy

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ももじろうです。

いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

 

「老後を豊かに過ごすシリーズ」プチ旅、オラ東京さ行くだ!その1皇居東御苑 EDO・Tokugawa family Legacy

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 突然ですが、皆様はこの漢字読めますか?「践祚」

難しい漢字は時として、部分の読みで正解の時があり、その伝でいくと「せんさく?」「そくさく?」等候補を作るのですが、ブーで不正解です。これは畏れ多くも「せんそ」と読みます。

 

ウキペディアさんによると“践祚(せんそ)とは

天子の位を受け継ぐことであり、それは先帝の崩御あるいは譲位によって行われる。古くは「践阼」と書き、「践」とは位に就くこと、「阼」は天子の位を意味 する。これに続いて位に就いたことを内外に明らかにすることを即位という”だそうです。

急にこんな難しい漢字(振りかな無し)を読めと言われたたら、困りますよね、私も困りました。前後の文章から大凡意味は推測できましたが、何故こんな始まりかと言うと、ジルの会社関連事業が有り、配偶者も同席すべき集まりだったのでもちろん私もその責務を果たすべき上京し、チャラチャラと時間を過ごしました。

会の後は自由時間なので、翌朝から午後3時過ぎまで、赤ゲット東京編プチ旅をし、1番早朝の築地場外の次2番目の皇居東御苑で、先ほどの読めない漢字に遭遇したのでした。英語の解説も有りましたが、さすが語彙の少ない英語らしく、Emperor Meiji was enthroned in January 1867, と即位を表すenthroned で表しています。日本語説明文では「慶応三年(一八六七)正月に明治天皇が践祚し、」です。つまりパンフレットの一部がこれです。

順序で言うと、2番目ですが話を始めていますので皇居東御苑のことを書きます。

きっかけは、TVの旅番組で東御苑を訪れたのを観て、「行きたい」と思いました。東京に住んだり、行ったりしても畏れ多い辺りに足を踏み入れることは有りませんでした。

 

『ここが、ここが二重橋記念の写真を・・。』は、例の私御幼少のみぎりに祖父祖母も一緒に写っている家族写真でのみ知っておりました。

開府後まもなくして焼けて再建せずのこした天守閣の台座

特に、興味を持ったのは、開府後まもなくして明暦の大火で燃え、再建せずのこした天守閣の台座の天守台です。ぜひとも登りたいと思いました。

 

 

解説に有るとおり、江戸幕府が開かれて50年もたたない内に「天守は不要」と言う判断が下される位に戦国の世が遠くなったと言うことでしょう。

 

観光地への順路

最初から順序立てて申し上げると、地下鉄大手町駅で降りて大手門に向かいます。鶏が先か卵が先か出言うと、大手門が有ったから大手町で、大手町に作った駅だから大手町駅。

お上りさんは、駅内の案内通り大手門を目指して、日比谷通りに一旦出てから大手門を目指しましたが、後帰り路にパレスホテルから地下通路に入り、そのまま都営地下鉄三田線の大手町駅に行けることを発見しました。オラ達お上りさんは大体こう言う具合です。

 

今はご時世で週休二日です。休園:(1)月曜日・金曜日 ただし,天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開。月曜日が休日で公開する場合には, 火曜日が休園になります。 (2)12月28日から翌年1月3日まで (3)行事ある時。

無料と言うのが大変良いです。

 

 皇宮警察の方(気軽にサツの旦那方と言いにくい)に、バッグの検査を受けて入ります。

横の詰所の窓に“皇宮護衛官”募集の張り紙がありました。警察でなく、護衛官と言う方々でした。

 

 

では、各国駐日大使閣下の認証式で迎えに出られるのもこの方々なんでしょうね、桜田門は近いけれど・・。はっきりは知りませんが、日比谷通りから坂下門をくぐり?新宮殿に至る数百メートルの馬車は各国大使閣下と奥様方から大変好評と聞きました。昔、『車と馬車とどちらになさいますか?』と宮内庁から先方に尋ねると、ほとんどが『馬車でお願いします。』と申されます。と言う記事を読んだことがあります。

 

てくてく歩いてようやく天守台が見える

ひろい御苑内をてくてく歩いてようやく天守台が見える『東京にこんな所が有ったのか?と思えるほどのやけに広々としたところに出ました。』遠くに天守台が見えます。

 

つまり、ここが表と奥(大奥)があった、江戸城の本体が有った所です。今はだだっぴろい空間一番奥の天守台のすぐ下辺りに大奥があったと小さな立札が有りました。なまめかしい響きと錦の御旗の東征軍が通過し明治の御代にこの辺りの混乱はいかばかりかと言う思いが過りました。

 

勝海舟が、静岡に押込められる徳川家や家臣のことを明治新政府とやりあった話は残っていますが、大奥の下端目の方々迄がどうなったか想像するしかありません。

お考えください、大木や会社がつぶれる時偉い人たちは何とかやって行きますが、一番下の人達は自分で生きていくしかないのです。

皇居東御苑編終わり。