タバスコの空き瓶から考えたことと新しく知ったことTABASCO-2

先達ブログ
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ももじろうです。

いつもジルがお世話になっております。世帯主で主夫のパートナーです。

 

タバスコの空き瓶から考えたことと新しく知ったことTABASCO-2

TABASCO Empty Bottle make me Imagine Something and know New World

 

1からの続き

価格

‘5. アメリカでは60mL/2oz が$1.96 3.87L/1Gal が$42.25

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これは、成城石井さんの商品棚(勝手に写真撮ってスイマセン)

瓶一つからこれだけのことを調べて知りました。因みに工場見学はニューオリンズから200Km西でI-10をラファイエットで降りて、50Km強南下した所。片道2時間

マルキヘニー社財務検証

マルキヘニー社は財務を公開していないが、年間売上は200百万ドルと言われている。この数字を整理すると、CBS 60 Minutes が推測した年間売上200百万ドルは、先ほどの彼ら自身の店売り価格60mL/2oz  $1.96 で売れるのは限られて、多くは世界各国輸出含む卸値(特に輸出用は価格が安いハズ。成城石井さんの小売価格が\259 ならば、日本代理店正田醤油、その他経費を考えれば当然考えられる)仮にそれを1本FOBアべリー島(EX-Go Downとも言います)$1.20 x 700,000 (日産数) x 240日稼働 ≒ 200百万ドル で大体数字は会います。

1日の生産数(平均)70万本のガラス瓶を誰がどうやって作っているのか

一番すごいと思わせられるのが、1日の生産数(平均)70万本のガラス瓶を誰がどうやって作っているのか、ダイキャスト鋳造や樹脂成型なら成形時間秒等少しは判るのですが、ガラス瓶は知識なく皆目わかりません。但し、最初に気づいたキャビティ番号#35から想像できるのは、#35が一番大きな番号でなく世界中にはもっと大きな数字のキャビティ番号金型から出来た瓶があり、ガラス瓶製造工場では一杯の成形金型で毎日一杯作っている(論理上1日で70万本必要)ので、私が感じた品質的な話などは『やっていられない話で、機能があれば可』ではなかろうかと思い直しました。

キャンパー・イングリッシ氏(苗字だよ)Alcademics.com 妙訳

詳しくは、キャンパー・イングリッシ氏(苗字だよ)のAlcademics.comの妙訳を以下に付けますのでお読みください。きちっと知りたい人は彼の英語のホーム・ページを読んで下さい。

The Surprisingly Interesting History and Production of Tabasco Pepper …

http://www.alcademics.com/2012/08/a-visit-to-avery-island-home-of-tabasco-pepper-sauce.html

www.alcademics.com/…/a-visit-to-avery-island-home-of-tabasco-pe…

 

ももじろう妙訳:

The Surprisingly Interesting History and Production of Tabasco Pepper Sauce

http://www.alcademics.com/2012/08/a-visit-to-avery-island-home-of-tabasco-pepper-sauce.html
驚嘆すべき興味がある、タバスコ・ソースの歴史と製造

August 21, 2012  2012年8月21日

http://www.alcademics.com/2012/08/a-visit-to-avery-island-home-of-tabasco-pepper-sauce.html

This spring I went to Avery Island, Louisiana, to see how Tabasco pepper sauce is made.

この春、私はタバスコ・ソースがどのように作られているかの現場を見るために、ルイジアナ州アヴェリー島を訪れた。

Avery Island isn’t really an island, but more of a dry mound (a salt dome) surrounded by wetlands. It’s about 165 feet high and that makes it the tallest point in the Gulf Coast.

アヴェリー島と言うのは実際には島ではなく、岩塩により周囲の湿地から隔離された高台である。高さが165フィート (約50m) のメキシコ湾岸で最も高い台地である。

The island is owned entirely by the Avery family, of which the McIlhennys form a branch. The first of them on the island was a man named Marsh, who built the Marsh House in 1818 that is still used for family weddings and other gatherings. Marsh wasn’t a pepper sauce maker, but grew sugar cane on the part of the island that he owned. There are remains of three sugar refineries still on the island, and sugar cane is still grown in the surrounding area.

この“島”すべてがアヴェリー家の主有であり、マルキヘニー農場の工場がある。当初この“島”はマーシュ“と呼ばれた男のもので、1818年当時結婚式や集まりに使われていた。マーシュはペッパー・ソースは作らなかったが、サトウキビを“島”の一部で栽培していた。いまでも、3つの製糖所が残っている。そしてサトウキビは今なを、周囲に自生している。

Marsh’s son-in-law, who was an Avery, bought the rest of the island. This Avery’s daughter married a McIlhenny, so that’s where the families come together. And it was this McIlhenny who invented Tabasco sauce.

マーシュの義理の息子がアヴェリーで、“島”の残りを買い取った。このアヴェリーの娘が結婚した相手がマルキヘニー、これで家族がそろった。マルキヘニーがタバスコ・ソースを作ったのだった。

At some point, they discovered that the island was rich in salt deposits. Salt is still mined on the island by the Cargill company, and they’ve now drilled to 2000 feet below ground to do so. Every night, they detonate an explosive underground to ready some more salt for harvest, and sometimes you can hear the boom from the Marsh House.

幾つかのポイントを話すと、彼らはこの“島”が豊かな岩塩を埋蔵しているのを発見した。塩はカージル会社により現在も採掘されている。現在の坑道深さは2000フィート(約600m) 。毎夜岩塩採掘の為発破を行い、時としてあなたはマーシュ・ハウスから爆破音を聞くことが出来る。

During the Civil War, the families fled New Orleans to live on the island and escape the conflict. But armies need salt, for preservatives and for animals, so the war soon came to them. They were making salt for the Confederate army and the Union army tried to seize the island in a conflict that came to be known as “The Great Salt Expedition.” Though this was a victory for the Confederates, the Union won the island just six months later.

南北戦争中、争いから逃れる為に一家はニューオーリンズから逃れ“島”に住んだ。しかし軍は保存と動物のために塩を必要としていたので、戦争は直ぐに家族の基にやって来た。

彼らは、南軍ために塩を作ったが、北軍も塩を必要として「塩の為の遠征」として知られるようになった。これは、当初南軍側の勝利であり、北軍は6か月後に最終的に勝利した

After the Civil War, Edmund McIlhenny, a banker whose industry had been destroyed by the conflict, succeeded in his venture creating a pepper sauce. (It wasn’t the first pepper sauce in America, though they were not common. It was said people initially complained that the sauce was too hot, as they applied it in quantities like the ketchup they were used to.) He grew peppers and developed the recipe from 1866-1868, and sold his first Tabasco sauce in 1869.

南北戦争終了後、エドモンド・マルキヘニーは、戦いにより破壊された産業を投資家としてペッパー・ソース製造に投資した。(これはアメリカで作られた最初のペッパー・ソースであった。このソースは人々の苦情によると辛すぎてケチャップと一緒でないと使えないものであった。)1866-1868年に彼は唐辛子を栽培し、レシピーを開発した。1869年にタバスコ・ソースとして販売した。

2終わり3に続く

タバスコの空き瓶から考えたことと新しく知ったこと。TABASCO-3
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